2011年3月5日土曜日

トウキョウソナタ   (受け継がれる『東京物語』のDNA)

 
 
2008・日本、オランダ、香港
監督:黒沢清
製作総指揮:小谷靖、マイケル・J・ワーナー
脚本:マックス・マニックス、黒沢清、田中幸子
出演:香川照之、小泉今日子、小柳友、井之脇海、井川遥、役所広司・・・

 確か中学生の頃でした。SF少年だった僕は、テレビで見た『キャシャーン』の予告にくぎ付けになり、父親にせがんで隣町にできたばかりのシネコンに、それを観に行きました。本当にワクワクしながら。そして、それは僕にとって忘れられない体験となりました。それが初めてです。映画を観て死にたいと思ったのは。(笑)開始30分経たずに一刻も早くエンドロールが来ることを望む僕がそこにいました。その経験からすっかりトラウマに陥り、現代邦画の食わず嫌いになってしまって、洋画それもB級SF・アクションモノばかりを観まくるという偏った食生活になってしまいました。  そしてそんな現代邦画トラウマから救ってくれたのが『ジョゼ虎』であり、本作『トウキョウソナタ』などの良質な作品たちです。   まぁ、以上は余談ですから置いといて。


 『トウキョウソナタ』は東京に暮らす、ごく普通の家族がたどる崩壊から再生までの道のりを、家族のきずなをテーマに見つめ直した人間ドラマで、『回路』などのホラー映画で知られる黒沢清監督が、累積したうそや疑心暗鬼などにより、ありふれた家庭を壊していくさまを現代社会を映す鏡として描いています。

 仕事に没頭する毎日を送っている平凡なサラリーマンの佐々木竜平(香川照之)は、ある日突然、長年勤め上げた会社からリストラを宣告されてしまう。一方、世の中に対して懐疑的な心を持っている長男・貴(小柳友)は家族から距離を置くようになり、一家のまとめ役だったはずの妻・恵(小泉今日子)にも異変が起き始めていた。

 「家族」、「東京」、ときたら映画ファンならずとも、思い浮かぶ作品・・・。そう、巨匠小津安二郎監督の名作、というか国宝『東京物語』。黒沢監督の小津安二郎への敬愛が尋常ではないことは自明であり、現代版『東京物語』を意識している言えるでしょう。『トウキョウソナタ』も同様に「家族」と現代にひそむ影の部分をあぶりだします。


 『東京物語』の「家族」は、“はかなさ”と“あわれ”が付きまとう家族でした。1953年、日本が戦争の疲弊から立ち直り、高度経済成長へ向かっていた時代、地方に住む老夫婦が東京の息子娘夫婦を訪ねていく物語です。東京への一極集中化が始まり、どこへ行っても「家の狭さ」が強調され、核家族化が進みつつありました。そのなかで、美容院を営み利己的、打算的になっていく杉村春子扮する娘の性格と、戦死した次男の嫁に扮した原節子の、一人つましく生きながら他人を思いやる心やさしい性格が対照的に描かれ、そこに興隆期日本の家族というものの変化を描いていました。

 一方、そのうえでの『トウキョウソナタ』の「家族」。興隆期が終わり、疲弊感すら漂う現代社会での一見普通に見えるが、内実はもろく危うい4人家族。会社をリストラされ、それを家族には隠しハローワークの長い行列に並ぶ父親(香川照之)。女としてもう若くはないが、すべてをあきらめてしまうほど年老いてもいない。夫や子供から妙な距離を置き、不思議なの立ち位置の母親(小泉今日子)。自分の存在意義を見いだせず、家族の反対を押し切り勝手にアメリカ軍の入隊を決める長男。家族に自分の居場所が無く、父の反対を押し切り給食費を月謝に当て、秘密でピアノを習う次男。それぞれがそれぞれに秘密を持ち、家族は崩壊の序曲を奏でます。『トウキョウソナタ』で描かれるそれは、小津が警鐘を鳴らした核家族を飛び越え、もはや家族が個人の単位で分断されたいわば「個人家族」。
 しかしスゴイところは家族の完全なる崩壊の次の段階、「再生」が提示されること。それも、さすがは黒沢清だなと思わされたのは、単純に家族の再生を暗示して終わるのではなく、家族の変容を受け入れるという答えを提示して見せたことです。初めは単純に反発していただけの長男はやがて精神的にも自立していくし、次男がピアノの才能を開花させたことも将来の独立を予想させる。そして無闇に威張りくさっていただけの父親は、次男が弾くソナタに黙って耳を傾けます。  無理に古い家族の形式を守るのではなく、それぞれが精神的に独立した《個人》であることを認めて、かつ「家族」であり続けようと努力する。題名が『ソナタ(=独奏曲)』である理由はここでしょう。ソナタが合奏になるのではなく、ソナタがソナタとして完成されるという過程が、家族の中での個人が《個人》として完成することのメタファーとして成り立ちます。核家族のその先、という新たな時代と家族の変遷を描くことで、明確に『東京物語』“以降”であろうとする意欲が見て取れます。 
 
 またもう一つの見どころは、母親を演じる小泉今日子。自ら監督に、「顔の皺も隠さず全部そのまま撮ってしまってください」という注文をしたそうです。家族とのぼんやりとした不思議な距離感を見事に体現しています。


当たり前に呟かれるようで、映画人にとって別格の一語「東京」の名を冠するふさわしい傑作です。

1 件のコメント:

  1. なかなか良い映画でした。
    香川照之は顔が地味ですが、存在感のあるいい演技をしますね。

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