2011年4月29日金曜日

《ぼくらのゼロ年代。》 ファイトクラブ


1999・アメリカ
監督:デビット・フィンチャー
製作総指揮:アーノン・ミルチャン
製作:アート・リントン、ショーン・チャフィン、ロス・グレイソン・ベル
脚本:ジム・ウールス
出演:エドワード・ノートン、ブラッド・ピット、ヘレナ・ボナム・カーター・・・

主人公は自動車会社のリコール査定士。ここ数カ月は不眠症に悩み、さまざまな病気を抱える人々が集まる「支援の会」に通い始め、そこで泣くことに快感を覚えるようになる。ある時、やはり「支援の会」中毒の女、マーラに出会い、電話番号を交換する。出張先の飛行機で主人公はタイラーと知り合う。フライトから帰ってくるとなぜかアパートの部屋は爆破されており、主人公は仕方なくタイラーの家に泊めてもらうが、タイラーは自分を力いっぱい殴れという・・・。  

 とんでもない破壊力に満ちた映画。ゼロ年代を目前にした1999年、デビット・フィンチャーは方向を見失い暴走して行く若者の姿を通して、究極のカタルシスを描いた。「お前たちが見たいのはこれだろっ!」と言わんばかりに。この映画を観たときの快感は、『時計じかけのオレンジ』を観たときの一瞬だけ感じるちょっと怖い爽快感に似ている。
 

 主人公は不眠症に悩み、物質主義に首まで浸かっている顔色の悪い男。言い知れぬ欲求不満と衝動を抱えており、飛行機に乗ると事故で機体と人が吹っ飛んでゆく夢想に駆られる。不安からではない。凄惨な事件を想像することにえも言われぬ刺激を覚え、自分よりも不幸な人間を眺めると安堵するのだ。そんな彼は、ある日、タイラーと名乗る男に出会う。タイラーは、「消費者として生きることから脱却すべきだ。我々は消費社会に去勢され、肉体を失ったも同然」と説く。心を鷲づかみにされた主人公はタイラーとともに「ファイトクラブ」を結成し、メンバーを増やし、男たちは血まみれになるまで殴り合うことで、「生」の実感を得て行く。しかし、タイラーの暴力思想に扇動され、「ファイトクラブ」は反社会的行動へと拡大していく。

 90年代は心の内面の狂気が叫ばれる時代でした。物質主義に満たされ、幸福や絶望に鈍感になり、虚無の迷路に迷い込んだ若者たちの共感しがたい他者よりも自己の内面
へと向かいます。この映画に宿る暴力と狂気が観る人々に受け入れられたことは、人々の意識の底に眠った狂気にとって実に刺激的であり、思わず共感してしまったと解釈できます。

 というのもエドワード・ノートン扮する主人公には、劇中の役名がありません。字幕には、「Narrater Edward Norton」と出ます。主人公の名前は、「ナレーター」なのだろうか。いや、ナレーターとは、「ドラマのナレーター」のように使われるように、語り手、ナレーションを入れる人という意味です。すなわち、『ファイト・クラブ』は、エドワード・ノートンのナレーションによって一人称的に語られる形式になっていたということが、この字幕から再確認できます。 そして結局のところ、主人公の名前は、映画の最初から最後まで一度も登場しないのです。
 この主人公は名前を持たないということが、映画の謎解き、そしてテーマ上の実に重要なキーポイントとなっています。
 『ファイト・クラブ』は、エドワード・ノートンのナレーションによって語られる、いわゆる主人公の一人称的映画、主人公の視点から見た世界が描かれます。 そして、この主人公の名前が出てこないというのは、ラストの謎解きにおいて非常に重要な伏線となって来ます。ネタバレになるのでここまでに・・・。

 さらに、主人公が名前を持たないのには、もう一つ大きな役割があります。本作は「僕」の物語として一人称的に語られます。では「僕」とはいったい誰なのか。
 それは、我々観客自身、一人一人です。主人公の名前、それは我々一人一人の名前を当てはめることが可能。 『ファイト・クラブ』は殴り合いをする秘密クラブを描いた単なるお話ではなく、現実の自分と理想の自分との間でせめぎあい、葛藤する我々自身の心の物語として描いていると言えます。
 フラスト・レーションを抱え、生きがいを感じない我々観客一人一人が、このエドワード・ノートン演じる「僕」に成りきり、感情移入することで、主人公「僕」に憑依することができる。

 うーむ、やはりこんな映画の主人公に共感し、言葉にならない爽快感を味わう現代人は色んな意味で狂っているのかもしれませんね・・・。

 ブラット・ピットは次のように語っています。
「啓発とか悟りの探求を描いている。自分自身を捕えて、鎖につなぎと止めているもの、社会の罠からの逃避、そして何事に対しても恐れを持たないこと。『ファイト・クラブ』は我々の文化への愚弄と虫ずが走るほど嫌いなのにむりやりおしつけられたものへの応答なんだ。」

 

2011年4月28日木曜日

特集 ぼくらのゼロ年代。

 
ゼロ年代~2000年から2010年~。ぼくらが生きた「0」という時代はなんだったのだろう。ぼくらの世代にとっては、おそらくこのゼロ年代が青春時代となるのだろう。つまり、この年代の映画、音楽、漫画、アニメーションがぼくらの価値観、社会観を形成したことは言うまでもない。なぜなら、それらは常に現代を映し出す鏡のようなものだから。

 ゼロ年代前の90年代はその後半から「戦後史上もっとも社会的自己実現への信頼が低下した時代として位置づけられる」と語られます。(『ゼロ年代の想像力』宇野常寛著)すなわち1995年あたりを境に、「がんばれば豊かになれる」世の中から「がんばっても、豊かになれない」世の中へ移行して行きました。同時に、生きる「意味」や「価値」も見出すことが難しくなった。そんな中、世界はゼロの時代に突入しました。

 そして世界に戦慄が走ります。世界貿易センタービルに航空機が突っ込んだあの瞬間の映像は世界の映画に影響を及ぼさないはずがない。

同時多発テロ、ウソの戦争、大不況。誰もが信じた「強いアメリカ」、「マジメな日本」という虚像は、ゼロ年代に感受性豊かな時をむかえた僕らの目の前で、音を立てて崩れ落ちた。二本の高層ビルの如く。

 ぼくたちが生きたあの時代は何だったのか。最近の雑誌等ではよく見かける特集かもしれないが、このブログもそれに乗っかってみようかと思う。

 そんな混迷でどこかニヒリズムな意志を感じさせてくれる生きた映画、ゼロ年代前夜1999年から2010年までを取り上げていくとこにしよう。ぼくらの青春、ゼロ年代の映画が映し出し、僕らの「生」に影響を与えたものを徹底的に考えたいと思う。

というわけで行きましょう。

ぼくらの
ゼロ年代。


2011年4月22日金曜日

冒険者たち


1967・フランス
監督:ロベール・アンリコ
製作:ジェラール・ベイトー、ルネ・ピニェア
脚本:ロベール・アンリコ、ジョゼ・ジョバンニ、ピエール・ペルグリ
出演:アラン・ドロン、リノ・ヴァンチェラ、ジョアンナ・シムカス、セルジュ・レジエニ

 いや~、更新遅れました。年度初めのためバタバタとしていまして。まぁ、言い訳はこのくらいにして・・・。

 今回はロベール・アンリコ監督、『冒険者たち』。いつまでも抱きしめていたくなるような黄昏のロマンティシズムに彩られた永遠の大傑作。その全て、美しく、そして愛おしいんです。
 ロベール・アンリコ監督は、男たちの友情、ロマン、愛を一貫して描いた監督です。中でも最高傑作と名高かく、少年の心をそのまま映像化したような作品です。

 元レーサーのローラン、アクロバット飛行をしているマヌー、芸術家の卵レティシアの3人は奇妙な友情で結ばれていた。夢を追う彼らは、海底に眠る財宝を引き上げるため、アフリカのコンゴ沖にオンボロ船でやってきた。しかし、みごと財宝を引き上げたとき、ギャングが襲ってきて、流れ弾に当たったレティシアは死んでしまう。残った男二人は、財宝をもって彼女の故郷へ逃げるが・・・。



 映画史上で青春映画というジャンルで数々の作品がつくられてきました。僕も青春映画というものはとっても好きです。なんたって、映画は感情移入が命ですから。
 しかし、その時代時代の風俗や流行を描く青春モノは、その時だけのヒットで終わり、すぐに陳腐な時代の象徴的作品としか扱われなくなってしまうことがどうしても多いです。その当時を描くがゆえに、時代の壁を乗り越えることはめったにありません。

 しかし一方で、時代を超えて愛される青春映画があります。僕の好きなところで言うと、『卒業』、『ファイブ・イージー・ピーセス』、『今を生きる』、『スタンド・バイ・ミー』などなど。これらの作品は、例え、その時代の風俗(音楽、ファッション、文化、ダンスなど)を描いていていながら、その向こうに時代を越えた普遍的テーマである「愛」や「夢」、そして特に多くは《挫折》が見えてきます。

 『冒険者たち』に綴られる、「冒険心」、「夢」、そして「別れ」。これらもいつの時代、どの世代のひとが心のどこかには持っている、または持っていたものであり、未来永劫決して色あせることはないでしょう。この映画にも青春映画の魔法のエッセンスが見事にそろっています。

 主人公の三人は、全員が社会からは見放されたようなやつら。アラン・ドロン扮するマヌーとリノ・ヴァンチェラ扮するローラン。こいつらは「冒険者」なんてカッコイイわけではなくて、危険なことをして一攫千金を狙う、香具師です。年齢も青年とオヤジ。性格も違う。アラン・ドロンは世紀の美男子、リノ・ヴァンチェラは中年の太ったおっさんです。
 監督のロベール・アンリコ は、この二人の出会いも、過去の友情のエピソードも、ましては彼らの関係性に関して説明的シーンを一切もってきません。でも、余計な説明なんかいらねぇのよ。だって分かるんだもん。この二人にある熱い友情ってやつが。

 もう一人のキーパーソンがジョアンナ・シムカス扮するレティシア。彼女の美しさったらもう・・・。見てない奴は全員損してます。ハイ、ハッキリ言います。損してます。数々の映画を観てきたけど、ジョアンナ・シムカスほど海の似合う女優さんは居ないのではないか。

 これ程この映画が哀切極まりないのは、彼が描く誰もが持っている「冒険心」、「行動力」、「無謀さ」などの青春へのオマージュに共感するからでしょう。3人の主演者がみんな大人を感じさせながら、それでいて少年の心も残している。それが空々しく見えないところが素晴らしい。
 ラブシーンが全くないところも泣かせます。レティシアに対して2人の男ははっきりしたことは何も言わない。これはローランとマヌーの友情と同じ。けれども気持ちは良く分かる・・・。こうした演出は映画独自のものです。見る者の感性に訴えかけつかんで離さない。

 そして、ラスト。ああ、語りたいけどネタバレになるし・・・。ここはグッとこらえます。

2011年4月7日木曜日

秋刀魚の味


1962・日本
監督:小津安二郎
製作:山内静夫
脚本:野田高梧、小津安二郎
出演:岩下志麻、笠智衆、佐田啓二、岡田茉莉子、三上真一郎、東野英治郎、杉村春子、中村伸郎、北竜二、吉田輝雄、牧紀子、三宅邦子、加東大介、岸田今日子

 「あ~。日本人で良かったな。」  最近こう思ったときってありましたか。

 「こんなときにそんなこと思うわけねぇだろ!不謹慎なやつめ!」こう言われてしまうと元も子もないのですが・・・。

 地震、台風、火山、戦争。何度この国はめちゃくちゃになってきたことでしょう。そして今も。もしかしたら本当に日本は不幸な国なのかもしれない。ふとそう思ってしまいます。

 しかし、そのなかで日本人は自然災害や戦争と向き合い、時に上手にいなしながらそれらと共存してきました。それゆえ、この民族は本当に独特な感性や価値観を持っているといえるのではないでしょうか。
 そう考えると、この国を世界的な先進国にまで発展させ、同時に異常なまでの文化的洗練性を保持している日本人という民族は、世界的に類い希な能力があるのかもしれない。そして、僕はその独自の感性と勤勉さに触れると、この民族の一員であることが本当に誇らしいと感じる時があります。

 でも、こう思うことは日頃たまった泥を掻き出すようなことです。ふとその誇りを普段忘れてしまい、日々を堕落して暮らしてしまうことも多い。ここら辺は本当に自分が情けないと思います。
 そして今回ご紹介する作品も、日頃たまった泥を一気に掻き出してくれます。本人であるとこが本当に良かった、誇らしいと心から思わせてくれます。日本人の感性を昇華した映画です。



というわけで、小津安二郎監督、遺作『秋刀魚の味』。
壮年の会社員である周平は、既に妻を亡くし、の路子と次男の幸一との3人暮らしをしていた。ある日、周平はクラス会の打ち合わせで同級生の堀江に娘を嫁に出すよう勧められる。しかし、周平は、家庭を切り盛りしている路子の幸せを思うものの、嫁に出すにはまだ早いと感じていた。後日、周平は、クラス会の席で招いた恩師から娘を嫁に出さなかったことの後悔を聞く。このことがきっかけで,周平は娘の縁談を考えるようになる・・・。

  小津監督といえば、やはり東京物語が一番最初に語られることが多いかと思うのですが、僕が小津作品のなかで一番好きなのは、本作『秋刀魚の味』。
 やはりこの作品も初老の父親(笠智衆)が結婚適齢期の娘(岩下志麻)を結婚させようとする話が中心に、長男夫婦の話、父の中学時代の同窓会や先生(東野英治郎)の話など、この父親の半径5メートルの風景を映しています。

 鎌倉を舞台にした古き良き日本の佇まいへの憧れに満ちていた『晩春』からは、既に13年も経っています。そして、『東京物語』からも早や9年、1962年(昭和37年)には既に高度成長の入口に立っていた日本。『Always 三丁目の夕日』から数年後、電化製品の普及等豊かになり始めた半面、味気ないアパート住まいの東京の日常の姿を描いています。ゴルフに背伸びするサラリーマンの姿なんかも描かれます。常に日本の《家族》を映し出してきた小津監督ですが、それぞれの作品に登場する家族像には微妙に変化が見られます。それもまたおもしろいところではある。

 なかでも僕が印象的だった場面はトリスバー「かおる」でのシーン。笠智衆扮する平山周平と、加藤大介扮する坂本芳太郎と、岸田今日子扮する「かおる」のマダムが戦争へ思いをふけらせ、軍艦マーチのレコードをかけて敬礼ごっこをする場面です。3人が敬礼をし合って、お互いに笑みを浮かべて見詰め合う。実に理解しがたい日本的な?情緒がバーの中に充満するのです。そしてなにより不用意にこのシーンは長いのです。  では、なぜ?

 平山は戦時中駆逐艦「あさかぜ」の艦長で、坂本はその艦の水兵でした。彼らは戦争賛美者であるのか?右翼的な愛国主義者であるのか?いや戦争の辛苦を忘れそのノスタルジーに酔いしれているだけなのか?このトリスバーでの敬礼ごっこはおそらく欧米人には元より、戦争を知らない僕らにさえ理解できない光景でしょう。そして、このシーンの会話劇は、私たち日本人にとっても戦後を読み解く上で実に不可思議だが読み解くべき重要な《映像の記号》といわなければならない。

 もとより彼ら平山、坂本は決して戦争を賛美する軍国主義者ではなありません。

 そこで、この敬礼ごっこへとつながる平山、坂本の会話劇。面白いのはここでの平山艦長の坂本の問いに対する返事。いいんだか、悪いんだか、のらりくらりとして、どこまでも曖昧である。(まぁ、それが実に小津的というか笠智衆的というか。)しかし艦長は坂本との話しが不愉快なのではないのであり、むしろ面白がっていると感じられるのです。
 そのなかで最も注目すべきは、平山艦長のせりふで、「けど、負けて良かったんじゃないか?」でしょう。そしてそれに対して坂本も同意するのです。彼らは決して言い争うことがない。
 
 「けど、負けて良かったんじゃないか?」このせりふに小津監督の戦争観が垣間見えます。同様のセリフが1956年の『早春』の台本からも見ることができます。

 「けど、負けて良かったんじゃないか?」 小津安二郎という作家は、反戦を唱えることを主眼としているのではありません。結果論として負けてよかったと言うのです。小津監督が、威張りちらす軍人に対してその品性が愚劣であると言うように、それは彼自身が中国に従軍した戦争経験に基づくと考えられます。

 つまり彼はとって大きいのは人間の生き方、あり方、つまり人間の気品の問題なのであり、そういう意味で日本人は負けて品性を取り戻したと考えるのでしょう。
 戦争に負けて日本はどん底まで成り下がり、今までの自らの愚劣さを痛いほど刻み込んだ。でも、それが結果として、日本人の品性を取り戻した。それが小津の戦争観であり、何十年かたって結果としてそうあってほしいという願いなのかもしれません。

 だから、彼の作品は日本人という民族特有の気品にあふれ、それを見ると僕らは感動する。「あぁ、日本人で良かったな。」と思う。

 さて、この震災を日本人はどうとらえるべきなのだろう。  そのヒントを小津監督はそっと示してくれているようです。





 ああ!言い忘れましたが、『秋刀魚の味』では、女優陣が本当に魅力的です。平山の娘を演じた、岩下志麻。とっても若いし、なによりビックリするぐらい美人です。あと、トリスバーのママを演じた岸田今日子が扉から入ってくるシーンはとにかくエロい。なにせ湯上りで肩を切って入ってくる岸田今日子様だから。



《小津安二郎の様式美》


秋子(岡田茉莉子)の
・薄いイエローのシャツと薄いイエローの牛乳キャップ
・白いエプロンと白い牛乳
・ダークグリーンのスカートとダークグリーンの湯のみ