2011年7月9日土曜日

《ぼくらのゼロ年代。》 ゆれる


2006・日本
監督:西川美和
脚本:西川美和
出演:オダギリ・ジョー、香川照之、伊武雅刀、新井浩文、真木よう子、蟹江敬三、木村祐一

久しぶりの邦画。個人的な趣味嗜好からやはり洋画に偏ってしまうのは否めない。でも、拳銃バンバンとか車ドッカーンみたいな映画ばかり取り上げても、頭が悪いことがばれてしまいそうなのでたまには邦画も。

 まず、ゼロ年代邦画の総論ですが、日本におけるこの10年間の映画界の大きな潮流として、アメリカ映画、いわゆるハリウッド映画を観る人が減り、邦画がよく健闘したと言われます。その一因として、9・11とイラク戦争以降、排他性が強まったことがあるのかもしれない。個人的実感としては、ゼロ年代の初頭からその傾向は強まってゆき、2008年の『ダークナイト』の作品のクオリティとその観客数に驚かされ、確信に至りましたね。そして、そこで問題にされるべきは「作品のレベル」と「集客」の過剰なアンバランスがあるのではないかということです。

そういった潮流に乗ってゼロ年代には邦画バブルの結果、膨大なゴミ邦画が量産されることとなります。しかし、その中、掃き溜めに埋もれず燦然と輝く才能と傑作はありました。

園子温の『愛のむきだし』、深作欣二の『バトルロワイヤル』、犬童一心の『ジョゼと虎と魚たち』、岩井俊二の『リリィ・シュシュのすべて』、周防正行の『それでもボクはやっていない』、山下敦弘の『リンダリンダリンダ』、三池崇史の『殺し屋1』、是枝裕和の『誰も知らない』・・・etc
などなど、それぞれに思い出深いベスト邦画があるかと思います。

そこで、おこがましいですが、ぼくが邦画ゼロ年代ベストを選ぶとしたら迷わず本作をあげます。


 西川美和監督作『ゆれる』。

 恋人や友人、その関係が切れるとこはある。しかし、兄弟は、近くて遠い似ているようで異なる、最も身近な他者としてある関係。それは互いに相手を切断できない宿命にあり、無情にも「ゆれる」しかない。


カメラマンとしても成功し、東京で派手に暮らす弟(オダギリジョー)。家業のちっぽけなガソリンスタンドを継ぎ、女に縁がなく、老いた父と二人で暮らすさえない兄(香川照之)。この二人が久しぶりの法事に、故郷で再会するところから物語は始まる。 弟は、兄が面倒な実家のもろもろを背負い込んでくれたから、東京で好きなことをやっていられるのだと薄々気づいていながら、何でも許してくれる優しく面倒見のよい兄に、無意識に甘えている状態。この日もあろう事か、兄が思いを寄せている二人の幼馴染の女(真木よう子)を送った後、そのまま部屋で抱いてしまう。そしてその翌日、事件はおきる。3人でドライブに出かけた渓谷のつり橋で、幼馴染の女だけが墜落死してしまうのだ。 さて、これは事故か、殺人事件か。唯一の目撃者となった弟の記憶もゆれる・・・。


真実の虚偽性、心理が生み出す主観性、嘘と真実、愛と裏切り・・・。それらすべてを真実と嘘に翻弄された兄弟の姿を通して体感させてしまいます。ぽっと投げ出されるひとこと、ふたことが、ゆれを生み出す。相手に対するゆれ、自身へのゆれが、観ているこちら側にも侵食し、題名通り、胸を掴んで揺さぶる。

まず、序盤の巧みさ。何やら怠惰に忙しそうなオダギリ・ジョー扮する猛が映る。まず、定点カメラの引きのワンショットでとらえる。「二年ぶりの休み」という微かな台詞と自由で縛りのない多忙ぶり。どうやら彼がカメラマンで久しぶりの里帰りすることが分かります。そして女に強烈なキスを味わらせ、さっそうとビンテージものの外車に乗り込む。ガソリンスタンドで会う女。女に猛獣のように噛みつくはずの彼は隠れるようにして目をそらす。
そこで疑問が浮かぶ。この男と女はどのような関係なのか。その知られざる関係は、一切台詞のない彼の動作と彼女の一歩間に合わないガラス越しの指先で表現されている。


 余計な説明を省く、と言うよりも、むしろ策略的な説明排除によって、映画的なミステリーを創り出し、観る者の視線と思考と感情をスクリーンに釘付けにしてしまう。まさに役者の動きによって、映画の空気を動く感覚。そのダイナミズムが確かにこの映画には存在します。 


ところで、邦画の邦画たる所以は、ぼくここにこそあるのだと思います。
アメリカ映画のようなド派手なアクションはなくとも、演者の微細な心情の動きをとらえ、その一変した映画の空気そのもので観客を圧倒するダイナミズム。ハリウッド製アクションとは、一線も二線も画す本当の意味でパワーをもった映像の力。


 それを可能にするのは、西川監督が役者を大変に信じ、役者の演技が映画作品において視覚表現以上の大変重厚な空気を生み出すことを知っていること。
 やっぱり、オダギリ・ジョーと香川照之はもう凄いっす・・・。香川照之扮する兄は、表情としてニコニコし、優しい人柄に思えるが、その瞳の奥に潜む本心が強烈に観る者の心を突き刺します。さらに、時にそのポーカーフェイスは強烈な皮肉を生み出します。面会場で「お前はさ、真実を事実として見てないんだよ」と呟く彼の顔面と言葉は裏腹で非常にシニシズムに溢れている。そしてラスト。全てを思い出し、懺悔がうごめく中、弟と兄は・・・。
また、題名「ゆれる」の通り、吊り橋が一つのモチーフとなって、弟と兄の「ゆれる」心情を象徴しているのも、非常に綺麗にまとまっていて、心憎い!って感じですね。


まさに、主人公たちの感覚の間を彷徨う映画。映画的な表現、それを動かす役者の演技、それら全てを惹きだす策略的な脚本。小津以来連綿と受け継がれてきた日本映画の芸術性、エンタメ性が見事に昇華されたいわば、日本映画の集大成的作品といえるのではないでしょうか。