2011年5月3日火曜日

《ぼくらのゼロ年代。》 あの頃ペニー・レインと

2000・アメリカ
監督:キャメロン・クロウ
製作:キャメロン・クロウ、イアン・ブライス
脚本:キャメロン・クロウ
出演:パトリック・フュジット、ケイト・ハドソン、ビリー・グラダップ、フランシス・マクドーマンド、ジェイソン・リー、アンナ・パキン、フェアルザ・バルク、ノア・テイラー、ズーイー・デシャネル、フィリップ・シーモア・ホフマン、テリー・チェン・・・

1973年、大学教授の母(フランシス・マクドーマンド)と暮らす知的で陽気な15歳の少年ウィリアム(パトリック・フュジット)は、姉アニタ(ズーイー・デシャネル)が教えたロック音楽の魅力に取り憑かれ、学校新聞などにロック記事を書いていた。やがて、伝説のロック・ライターでクリーム誌の編集長、レスター・バングス(フィリップ・シーモア・ホフマン)に認められ、さらにローリングストーン誌からも声がかかり、ウィリアムが愛する新進バンド、スティルウォーターのツアーに同行取材をすることになる。そして、このバンドを追う少女たちの中にいた、一際美しいペニー・レイン(ケイト・ハドソン)に恋をする・・・。


 僕の中でのゼロ年代最大の青春ムービー。監督キャメロン・クロウの実体験を下敷きに描かれる「想い」のいっぱい詰め込まれたラブレターのような映画は、大人なら多かれ少なかれ誰もが通ってきたであろう『青春の日々』を呼び起こします。
 1969年。ウィリアム(クロウの分身)は自分が二年飛び級していたことを突然知らされて驚きます。扮する彼の母親(フランシス・マクドーマンド)は大学の教育者で教育には一際強い持論がある。そんな母に反発する姉(ズーイー・デシャネル)は街へ出てスチュワーデスになることを夢見ています。ある日、彼女は母親に自分の気持ちを理解してほしくて、サイモン&ガーファンクルの『アメリカ』を聴かせます。しかし、ロック否定派の母には伝わらない。彼女は大切なレコードたちを愛する弟に残し、二人に別れを告げ、家を出て行く・・・。頭にはカーラーを巻いたまま・・・。
 このシーンが素晴らしいのは、一見いがみ合って見える親子、母と姉が親子という関係や年齢を超えて対等に向き合い、心の底ではお互いがお互いを認め合っていることを非常に丁寧に伝わってくることです。


 1973年。15歳になったウリィアムは尊敬する音楽評論家レスター・バンクス(フィリップ・シーモア・ホフマン)と出会い、ライターとしての心得を授けられます。「評論家で成功したけりゃ、正直に手厳しく書け。行き詰ったら電話しろ。夜中でもいい。」そして彼の雑誌クリーム・マガジで記事を書くことになり、こうしてウィリアムの人生は本格的に動き始めます。
  本作は少年と大人たちとの出会いの連鎖を見つめた物語です。ウィリアムの一番身近な大人だった姉から教えられたロックの世界はレスター・バンクスとの出会いにつながり、彼との出会いはスティルウォーターやペニー・レインとの出会い、ローリングストーン誌での執筆につながって行きます。
 ひとはひととの出会い、また出会いを生み、成長し人生が形成されてゆく。少年を取り巻く大人たちは、その不完全さゆえに、意志と覚悟、孤
独と優しさをにじませていて、それらすべてがウィリアムへと引き継がれてゆくさまは実に美しい。実はこの過程にこそこの映画の魅力があり、人々に共感と感動を与えます。
 きっと、何かにのめり込むことで、持て余す若さのエネルギーを漠然と発散していた頃を経験した事のある方なら、何らかの感情を抱くと思います。
 大学1年時に観たときの感動は今でも忘れない。大人になる近道は一人で旅に出ることだと背中を押してくれた作品。危ないからといって何もさせない親の気持ちも理解できますが自立とは自らの意思で責任ある行動をとることであって、いつまでも親の指示に従っていては、判断の機会が与えられないっ。そう思います。


でもやっぱり、ペニー・レインと彼女を演じたケイト・ハドソン。彼女は少年が大人になる過程で出会い、恋をする女性に必要なすべてを持っている。


最近、友人に勧められた動画。『あの頃ペニー・レインと』を観たときに似た感覚がふつふつとこみ上げてきた。山崎さん、最高です。

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