2011年1月18日火曜日

ミスティック・リバー

2003・アメリカ
監督:クリント・イーストウッド
製作総指揮:ブルース・バーマン
製作:クリント・イーストウッド、ジュディ・ホイト、ロバート・ロレンツ
脚本:ブライアン・ヘルゲランド
出演:ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコン、マーシャル・ゲイ・ハーデン、ローラ・リニー、ローレンス・フィッシュバーン

 混沌の闇。この世界に住む人間の闇が何よりも恐ろしく、観る者の心をこれとないほど苦しく締め付ける本作はまさに映画が生み出す極限の衝撃です。
 『許されざる者』や『ミリオンダラー・ベイビー』など、痛切な過去を抱く複雑な人間模様を映画描き出すことに定評のあるクリント・イーストウッド。僕の最も好きな監督の一人ですが、中でも本作『ミスティック・リバー』は、別格です。
 観終わった後にしばらくその衝撃で声が出せなくなるでしょう。しかも、「ズドーン」というわかりやすい衝撃ではなく、心の奥のまたその奥を少しずつ少しづつ締め付けられる感じです。

あらすじは、
ボストンの貧困地区。路上ではジミー、デイブ、ショーンの3人組がボール遊びに興じていた。ボールが排水溝に落ちたとき、不審な車が少年たちの傍に停まる。警官を名乗る2人連れは、3人の内からデイブだけを車に乗せ、静かに走り去った。数日後、デイブは暴行を受け、無残な姿で発見される。それから25年、同地区で殺人事件が発生。被害者はジミーの娘だった。捜査を担当するのは、今は刑事となったショーン。やがて捜査線上にデイブの名が浮かぶ。事件は3人の過去を弄ぶようにして、非情な物語を導いてゆく…。

 
 もちろんキャストの演技も凄まじいのですが、イーストウッドの演出手腕が半端じゃない。例えば、物語冒頭の子供時代のシークエンス。セメントに名前を刻んでいく男の子三人。そこに一人の男が現れる。手錠と警官バッジが彼の腰で揺れ、どうやら彼が警官だとわかると、子供の目線であるロー・アングル(低い位置からのショット)。それにより、画面には威圧感で満たされ、恐ろしい間と空気で異様な空気を醸し出していきます。汚い後部座席、ためらうデイブ、憤慨する男、闇の中で光るキリストの指輪、恐怖と涙でいっぱいのデイブ、去りゆく車と友人二人、そこで暗転し、まるで悪夢のようにデイブの誘拐が明かされ、レイプされるデイブが映り、逃げ出した彼は窓から影の存在として姿を現し、友人らは静かに合図を送る・・・。
 暗転が見事に本作の闇と恐ろしい空気を創りだし、台詞の意味などわからなくても、視覚的に聴覚的に全ての状況と恐怖とこれから迫りくる闇を体感させてしまうのです。まさに傑作。その闇を観客もデイブも引きずったまま、社会という闇の中でそれぞれ生きている三人が順番に映し出され、真の心の闇を今度は彼らの恐ろしい演技と映画的表現で見事に彩られます。

 また、この作品はイーストウッドが時と空間の映画作家であることも証明してくれました。本編において、身をもたれさせていればいつ崩れかけてもおかしくない粗末な木造テラスが、かなりの時間を挟んで二度登場します。一度目は作品の冒頭、少年たちの遊びを見守るともなく見やっていた父親たちが、仲間の一人(デイブ、つまりティム・ロビンス)の誘拐を知らされるという不吉な舞台装置としてです。二度目は、娘を殺されたジミー(ショーン・ペン)がどうにもいたたまれなくなり、テラスで一人酒を飲んでいるところに、犯人であってもおかしくないと観客が思い始めているデイブ(ティム・ロビンス)がやってくる場面です。(ティム・ロビンスは子供時代にひどい仕打ちにあった張本人である。しかも仮に、ティム・ロビンスが犯人であったならば、ショーン・ペンを慰めるという行為は、仲間への裏切り以外何でもない。う~む、観客としてこれに立ち会うのはつらい。)

 つまり、このテラスにおける可視化は、冒頭ではテラスに座る父親を見上げていた少年を、同じようにそこに座らせることで、ジミーにあたりを見晴らす視点を与えているのです。そしてその瞳はが見据えるのが絶望ならば、かつてテラスにいた父親たちも何かしらの悩みを抱えていたに違いない。そこで、彼らがこの土地に住む者の逃れがたい暗さを反復しているだけに見えます。つまり、このテラスは、土地の暗さに向かって開かれたジミーの窓にほかならない。

また、このテラスの既視化によって、イーストウッドは、25年という歳月を動かぬ時間として人物たちにまとわりつかせています。時間は無惨なままに流れそびれていて、そのことがこの2つのシークエンスに凝縮されているのです。

 ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコン、これほどの癖の強い俳優陣が、演技合戦というよりも、むしろひとつの川のごとく大きなひとつのうねりを形成しているような印象を受けました。
アカデミー賞主演男優賞、助演男優賞をとるのも当然です。

 このようないたたたまれなさの極地のような映画が、21世紀しかもハリウッドでダーティー・ハリーによって撮られたことにただただ驚愕するしかない。



 ところで、mysticとは、秘密のという意味だそうです。




 秘密、殺人の真相、誤った殺人、少年時代の忌まわしい記憶。
それはすべて川の底に沈んでいます・・・。

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