2011年1月8日土曜日
ピアニストを撃て
1960・フランス
監督:フランソワ・トリュフォー
製作:ピエール・ブラウンベルジェ
脚本:フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー
出演:シャルル・アズナヴール、マリー・デュボワ、ニコル・ベルジェ、ミシェール・メルシエ
すごい映画を観てしまった。
冬休みに早稲田松竹のフランソワ・トリュフォー特集に行ってきました。2回も高田馬場に通って、計5本のトリュフォー作品を観てきました。
いや~、『大人は判ってくれない』から『日曜日が待ち遠しい!』(ファニー・アルダン、きれいだったな~)まで、名作ぞろいでしたね。でも、中でも僕が大好きだったのは、個人的にフィルムノワールが大好物ということもあり、『ピアニストを撃て』でした。
この作品は、衝撃のデビュー作『大人は判ってくれない』と彼の名声を不動のものにした傑作『突然炎のごとく』の間に撮られた監督長編2作目で、それらの作品の陰になりがちです。たしか、アメリカでは「突然炎のごとく」が成功したために、あとから公開されたぐらいの扱いです。しかし、この映画がいい映画なんです。評価はやや低めですが。トリュフォー監督の映画への愛が作品の節々から滲み出ています。
苦闘する者も多い二作目ですが、監督はB級路線を敢えて貫きながら、彼独自のセンス溢れる作品に仕上げています。
トリュフォーのアメリカ映画好きは本人が公言していることで、本作では、ハワード・ホークス、ジョン・フォード、アルフレッド・ヒチコック先生、ニコラス・レイなどへの関心をあからさまに示してくれています。そして、この映画は、彼自身が言うように、アメリカ映画特にB級ギャング映画へのオマージュがところどころに描かれ、1940年代のアメリカ映画の、いわゆるフィルム・ノワールを彼流にアレンジしながら再現しています。 あらすじですが、以下になります。
人生に諦めを抱いているシャルリーはパリの場末のカフェ「マミイ」でピアノ弾きをしながら幼い弟フィードを養っている。彼にはあと二人身持の悪い弟がいた。或る冬の夜、その弟シコが助けを求めて来たことから、またしても不幸は襲った。ギャングをまいて逃げてきたシコにかかわりあうのが腹立たしかったシャルリーも、店に現れたギャングを見てやむを得ず協力した。支配人プリーヌは大いに興味を抱いた。店の給仕女レナはそんなシャルリーに思いを寄せ、彼の心の扉を開かせたいと願っていた。ある日、壁の古いピアノ・リサイタルのポスターを見た彼は、レナに過去を語り始めた。彼は本名をエドゥアル・サロヤンといい、国際的に有名なアルメニア出身のピアニストだった。
積極的に外へ出て行ってロケを存分に行い、これにより開放的な世界を広げ、室内や押し込められた場末のカフェとの落差をより強く浮かび上がらせている点。ヌーヴェル・ヴァーグらしい撮影方法及びカットを多用している点。
トリュフォー流のフィルムノワールですが、これらについては若々しい映像が全篇を覆いつくしたゴダール監督の『勝手にしやがれ』が盟友トリュフォーにも伝染しています。ゴダール監督が映画の文法を破壊したため、センセーショナルな脚光を浴びるようになりました。それによって、トリュフォー監督も自分の好きなようにやることに、躊躇が無くなったのかも知れません。この作品からは表面的なB級感よりも、むしろそれを楽しんでいるような余裕が伺えます。
また、無駄な会話を緊張するシーンで入れるのもリアリティーの増す、効果的なやり方です。誘拐されたり、監禁されたり、首を絞められたり、銃撃されたりと80分弱の作中でとても忙しくトラブルに巻き込まれていくシャルリーですが、犯人達や揉め事の相手との会話がとても滑稽で現代の作品でも十分に通用するほどの面白さがあります。刹那的に起こる事件の数々と、その間を埋める無意味な会話の滑稽さが、この作品のストーリー上の「肝」です。マリーを誘おうとするシーンでのシャルルの頭の中での迷いがとても可愛らしい。
しかし、それと同時に暗い過去を抱えるシャルリーは、実に哀愁に満ちています。そして、クライマックスでは、同じ過ちを繰り返してしまう・・・。
人間には避けられぬ運命があり、この世は輪廻転生であるという人生哲学さえ感じられます。
映画冒頭とラストシーンのシャルリーのピアノを演奏する場面のリンクは観る者に様々な意味を喚起させます。
しかし逆に、本作を観た方は、トリュフォーの好きなことが沢山つまっているため、少々まとまりが悪いと感じるかもしれません。でもこれは、ヌーヴェル・ヴァーグ独特の手法で、映画作家が、退屈で良く出来た映画を作ろうとせずに、自分自身の無秩序な経験を表現しようとしているからです。これらの映画は、未解決で、説明不能で、不調和な要素に満ちている。僕はそれは、鑑賞の邪魔にはならず、むしろ数々の先輩映画監督への感謝や映画への愛を基に、新しいものへの挑戦ととれ、観ていて実に楽しかった。
本作で、自分が好きだったヒッチコック先生やホークス監督への敬意を捧げているのみならず、一人の映画作家として、確固とした才能の基盤を持っていることを示してくれました。影響を受けてきた作家への感謝と、彼自身の作家としての個性の目覚め。ゴダールが先に行ってしまったことへの焦りにイライラしつつも、監督本人が楽しそうに撮っている作品は、映画への愛が観る者にも伝わってくるように思います。
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