2013年5月3日金曜日

シュガーマン 奇跡に愛された男



5/1@渋谷シネパレス

 会社員になっても映画観ます!ブログ、バリバリ更新します!

 で、本年度アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門賞を受賞した作品。

 『シュガーマン』という人のドキュメンタリーかと思ったら、それは歌のタイトルで、70年代にリリースされたその歌を歌ったロドリゲスという人のドキュメンタリーでした。ドキュメンタリーってことでちょっと遠ざけちゃうけど、『シュガーマン」はそこら辺のフィクションよりも数倍ドラマチックで数十倍泣ける。

アメリカのシンガーソングライター、ロドリゲス。彼はアメリカでは全くの無名。一方、南アフリカでは曲がヒットし国民的アイドルとなった、という極端な落差をもつ不思議なミュージシャン。そしてこの落差が物語の動力源でもある。

そもそも基本的なドキュメンタリーの語り口は、とある人物にスポットをあて、直接的な肉薄した映像をゴロっと提出し、それが醍醐味だったりする。しかし、この『シュガーマン』では当該スポットを当てる人、ロドリゲスさんが消息不明。つまり、前半、70年代を彼と共に過ごした関係者が今は行方不明の人物について語るという形で映画は進む。

さらに彼らはもう老人だ。実現されなかった夢を夢見る人の悲しみと憂いと郷愁に満ちている。しかしどこか若々しくも見える。瞳は少年のようにさえ見える。実現されなかった夢を、自分の中に生きるロドリゲスだけが実現してくれる、そんな年月がねじれさせた希望が、彼らの言葉と表情をつくっているのかもしれない。

もちろん、これはロドリゲスのドキュメンタリーなので、映画はそれだけでは終わらない。後半はロドリゲスという夢に生きる人々と打って変わって、ロドリゲスという現実が登場する。その対比がパズルを埋めるように更に物語をつくって行く。

この『シュガーマン 奇跡に愛された男』は、究極的に表現する人のあるべき姿って何だろう?という問題への丁寧な考察でもある。

 歌はそれを聞いた人たちの中で生き続けるのだ、そんなことを言いたくなる映画。泣けた。



2013年1月1日火曜日

2012年ベスト10、選びました。

明けましておめでとうございます。いきなりですが2012ベスト10やります。記事書いてたら年明けちゃったんです。新年早々2012年の映画を振り返ってみましょ。

2012年映画界は祭りな1年だったと思います。目立つところで言うと、『ダークナイト』シリーズ完結、『アベンジャーズ』超絶大ヒット、『プロメテウス』正統エイリアンシリーズ復活、『スカイフォール』007の復権…などなど。こりゃ、祭り。

しかし、そんな祭りすらかすんで見えるほど存在感を示しちゃったのは、あいつ。桐島です。もう2012年は「桐島の年」と言っていいかと。青春映画において、「桐島前と桐島後」という基準すら作ったと思います。そんな中、俯瞰して2012年を見たとき、邦画とインディーズ映画が1つ次の段階へ進化したことに気づくのです。おもしろき年なり、2012年。
 
ではでは、さっそく行きましょ。2012年、ベスト10!





第1位 『ベルフラワー』



1位!!!『ベルフラワー』!!!
究極のオナニーという映画の超根源的姿!!!

2012年のベストはこの映画以外考えられません!

『マッドマックス2』の世界を愛し、悪の首領ヒューマンガスに憧れる親友同士のウッドロー(エヴァン・グローデル)とエイデン(タイラー・ドーソン)。因みにこの2人はニート。日々プロパン爆破実験や火炎放射器の破壊力追求に明け暮れ、『マッドマックス2』のような滅亡後の世界(北斗の拳みたいな世界)が来ることを信じ、その世界を支配する未來を夢見てます。まさに、究極の厨二やん!そんなある晩、ウッドローはミリー(ジェシー・ワイズマン)という女と出会い、思いがけなくも激しい恋に落ちます。しかし彼女は彼を裏切ります。それを知ったウッドローは、怒りと絶望から正気を失い、火炎放射器を手に狂おしい妄想の世界へと突き進んでいくのです。

桐島の映画部オタクたちは高校生ってことでまだちょっとかわいげがありますが(僕もまだね…)、これは本気で北斗の拳みたいな世界が来ると信じるニートたち。もう悪質度が違います。

監督、脚本、製作、編集、そして主演を務めたのは、現在31歳のエヴァン・グローデル。自らの失恋体験をベースに脚本を執筆。収まらない怒りと悲しみのヴォルテージをこの映画に叩き込み、長編映画監督デビューを飾りました。有り金すべてはたいて(彼自身映画監督志望のニート同然の男だった)、制作プロダクションをつくり、映画に出てくるメカや改造車をつくり、果ては撮影カメラまでつくちゃったという。まさに恐るべきインディペンデント魂。4年間自主映画のそばにいた僕は涙がとまりません。そのおかげで、滲んだ色彩と深い陰影、ぼかしたピントなどの効果が、他の映画では見られないサイケデリックでシュルレアリスティックなヴィジュアルを実現しています。

何かを失っていないとものづくりはできない。その教訓を刻み込んでくれると同時に、希望をくれた作品です。『ベルフラワー』に出会わせてくれたシアターNに心より感謝します。

 




第2位 『桐島、部活やめるってよ』


はい来ました!2位桐島ー!!!桐島ー!!!
言わずもがなです。周りの友人、映画好きなヤツ・そんなに好きじゃないヤツ問わず強引に観させました。観た後誰かと話さないと頭おかしくなりそうになりますからね。

ラストの屋上ゾンビ大殺戮シーンは、僕の高校時代の亡霊の鎮魂になりました。







第3位 『きっと ここが帰る場所』



4位『きっと ここが帰る場所』。1度劇場で観て数日後、麻薬的に再度鑑賞したくなる映画にたまに出会う。初めはショーン・ペン好きだし一応観とくかーってノリで行ったのですが、気が付いたら3回劇場に足を運んでいました。

果たしてこの映画の何がそこまでさせたのでしょうか?

この映画はまず、ショーン・ペン扮する初老の元ミュージシャンの皺だらけの顔を見つめるところから始まる。過去の輝きを失った彼の現実を皆でじっと直視して、その皺とそこに刻まれた痛みと哀しみを皆で共有する。その決定的な何かを見ることの居心地の悪さと無力さを、そこにいる観客が全力で受け止める。全編にわたって描かれるのは結局それだ。多くは、痛みとか悲しみを描くとき、くさくなったり涙の押し売りっぽくなったりするけど、この映画は違う。ちゃんとそれに向き合ってこの映画にしか味わえない空気感にまで昇華している。それを味わうことががこの映画を観ることそのものかもなと思ったり。






第4位 『ミッドナイト・イン・パリ』


3位、『ミッドナイト・イン・パリ』!6月にこのブログにも投稿しましたが、やっぱ『ミッドナイト・イン・パリ』最高です。ついこの前も日比谷シャンテにて『恋のロンドン狂想曲』観て来ました。(実は『ミッドナイト・イン・パリ』の前作)おもろい!ウディ・アレン、御年77歳にてこの脂っこさ!2005年の『マッチポイント』以降、2度目の黄金期来てます!来てます!

僕もこんなエロ親父になりたいです。

 





第5位 『ドライヴ』


5位、『ドライヴ』。名前はない。家族はない。過去は語らない。感情は表に出さない。生業は車の修理工だが、昼はカースタントマン、夜は強盗犯の逃走請負ドライバーの顔を持つ。

主人公は『荒野の用心棒』、『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』を彷彿させる。速度がある上にダークでディープな味わい。どん引くほどバイオレントだけど酔いしれるほど上品な語り口。何なんじゃこの映画はあ!いままで観たどんな映画にも当てはまらない『ドライヴ』の衝撃は、童貞喪失並み。







第6位 『おおかみこどもの雨と雪』


6位、『おおかみこどもの雨と雪』。細田守監督のアニメーション。『サマーウォーズ』もかなり周囲でかなり話題になっていましたが、個人的にそこまで入れ込めませんでした。しかし、『おおかみこども』で家族に対するエモーションを格段に深化させていることに驚きます。とにかく泣きました。

 




第7位 『果てなき路』



7位、『果てなき路』!70年代アメリカン・ニューシネマの伝説的監督モンテ・ヘルマン、21年ぶりの新作~。長年ハリウッドから干されてて撮れなったらしいです。因みに、誰?って感じですが、クエンティン・タランティーノを見つけて世に売り出したのはこのおじさんです。

そんで今回、久々の新作の主人公となったのは、ハリウッドでの活躍を期待された若手映画監督。そう、『果てなき路』は映画づくりを描いた映画です。そして、「映画の映画」であり、「映画内映画内・・・映画」という多重構造を持っています。「映画的である」ことの皮肉とロマンチシズムが詰まったノワール映画。現実と映画の境目が溶けてなくなるような超不思議な感覚で包まれる。怪作であり快作であり傑作でした。

 




第8位 『アルゴ』



8位、ベン・アフレック先生『アルゴ』!あ、そういえば、去年のベスト10では前作『ザ・タウン』が3位でした。

今作『アルゴ』は偽SF映画(スター・ウォーズのパクリ映画)をでっち上げて、ロケハンの名目でイランに乗り込み人質を救出しちゃおう♪という何ともまぁ荒唐無稽な作戦モノ…。そこで、オープニングカットから役者の仕草までしつこいまでにリアリズムに徹している事によって、緊張に緊張が持続する仕掛けになってます。(これは映画オタクのベン・アフレックがオリバー・ズトーン監督『プラトーン』、『ウォール街』の演出法をお手本にしたらしい。)

何と言っても『アルゴ』の味わい深さは、昔ながらの映画の面白さがあるところ。ベン・アフレックは、ハリウッドの昔ながらのジャンル映画の面白さを現代風にアレンジ・脱構築するのが神的に上手です。処女作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』→フィルム・ノワール物、『ザ・タウン』→銀行強盗物の現代風アレンジでしたし。昔ながらの映画の面白さ、これ超大事よ!







第9位 『ふがいない僕は空を見た』



9位、またまた邦画。『ふがいない僕は空を見た』。宣言通り、「性」と「生」に真正面からぶつかった生々しくも清々しい傑作でした。監督は『百万円と苦虫女』や『俺たちに明日はないッス』のタナダユキ。脚本は『マイバックページ』、『リンダリンダリンダ』を手掛けた向井康介。パズルのピースとピースが組み合わされるように、《セックス》を軸に映画内世界がどんどん拡大してゆく様はとにかく逸品。邦画好きも洋画好きもとりあえず観とくべし。

 





第10位 『隣る人』

10位、ドキュメンタリー映画『隣る人』。児童養護施設「光の子どもの家」の8年間を撮ったドキュメンタリーです。何ですか、これ、涙が止まらないんですけど…。

「光の子どもの家」に8年間にわたって密着し、ただ寄り添うだけのカメラが映し出す日常。「私の全存在を受け止めて」と不安の中で揺れ動く子ども、自らの信念とその重さと格闘し続ける保育士さん、離れて暮らす子どもと再び一緒に暮らせることを願い人生を修復しようとする親。だれもが正しく生きてるんです!

絶対的な誰か(隣る人)が側にいてくれることが、これほどまでに根源的な欲求なのか。とてつもなく温かい85分ですが、裏側に8年間密着し仕上げた刀川和也監督の映画づくりへのただならぬ気迫を感じました!宇多丸師匠の言うとおり、すっかり「一人で大きくなった気でいる」、すべての大人に観てほしいです。


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というわけで、以上が僕が選んだ2012年ベスト10になります。正直どれも大好きなのでその日の気分次第で9位~2位は変わると思います。特別賞としてはポレポレ東中野で鑑賞した山戸結希監督の学生映画『あの娘が海辺で踊っている』です。暴力的で荒削りなすごい作品でした。

やっぱり映画って最高です。映画館って最高です。映画ファンって最高です。

2013年、社会人になっても映画を観よう。

オーソン・ウェルズは24歳で『市民ケーン』を撮った。来年は23、僕も頑張ります。

そんな感じで、今年もよろしくお願いします。

2012年6月10日日曜日

ミッドナイト・イン・パリ


2011・スペイン・アメリカ
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
製作総指揮:ハビエル・メンデス
撮影:ダリウス・コンジ
出演:オーウェン・ウィルソン、マリオン・コティヤール、レイチェル・マクアダムス、キャシー・ベイツ、エイドリアン・ブロディ、カーラ・ブルーニ、マイケル・シーン・・・


 老練ウディ・アレン、御歳76歳。『アニー・ホール』、『マンハッタン』、『カイロの紫のバラ』、『ハンナとその姉妹』、『マッチポイント』…。他では味わえないウッディ印の傑作を世に送り出してきた映画界の偉人。『ハンナとその姉妹』をこのブログで取り上げた時には先生とお呼びした、ウディ・アレン。容姿も含めて、ボクは御大ウッディ・アレンの大ファンなのです。

 さて、今作『ミッドナイト・イン・パリ』。僭越ながら、傑作を超えて、名作の域に達したこの作品の正体を記事にまとめたいと思います。


1.ウディ・アレンのニューヨーク、そしてウディ・アレンのパリへ。~ノスタルジーと迷子~

 ウディ・アレンがついにパリに乗り込む。しかも「パリ」をその名に冠した作品で。これだけで映画ファンは、よだれダラダラ(笑)
 ウディ・アレンと言えば、ニューヨーカー。ホームグラウンドのニューヨークを切り取ってきた作家です。『アニー・ホール』、『マンハッタン』、『ハンナとその姉妹』…。いわゆる、自身のフィルモグラフィのゴールデン・エイジ。しかし、ウディ・アレンのパリはウディ・アレンのニューヨーク以上に魅惑的でした。どうやら、最も美味しいご馳走は最後にとっておく主義らしい。

 パリにやってきた主人公ギル(オーウェン・ウィルソン)は、ハリウッドの売れっ子脚本家。なのに華やかな現代のアメリカよりも古き良き時代、1920年代のパリをひそかに愛している。彼は現代では懐古主義と軽蔑されるノスタルジーを彼の中で大事にしているのです。そしてある夜、タイムスリップしてその憧れのパリへと迷い込む。


 そこは、パリが最も華やかなだった時代1920年代。そこで出会うのは、スコット・フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、ガートルード・スタントン、パブロ・ピカソ、T・S・エリオット、サルバドール・ダリ、ルイス・ブニュエル・・・。そしてピカソの愛人アドリアナ。

 そもそも、なぜこんなにも豪華な偉人達が同じ時代同じ年に存在したのか。その理由は、彼らが俗に言うロスト・ジェネレーションだからです。フィッツジェラルド、ヘミングウェイらは、第一次大戦で人間の残虐さに直面したが故に、社会と既成の価値観に絶望し、その中で生きる指針を失い、社会の中で迷った世代です。そんな彼らは新天地を求めて、パリへ集まった。彼らは「失われた世代」と訳されるが、それは実は誤訳で、正式な意味は「迷子の世代」です。

 期せずしてタイムスリップしたギルは初対面にも関わらず、彼らに温かく迎えられる。それも異常なまでに。(笑)そして彼らがギルに同じセリフを繰り返し掛ける。
「あなた、迷子なのね。」と。
おそらく、彼らが、現代に馴染めずパリの夜道で迷子になり1920年代に流れ着いたギルに、同じく社会から取り残された自らと妙な親近感を覚えたからであろう。

 この作品にぶつけられた想い。それは、新しい物をつくりだす人、そしようともがき苦しむ人にとって、「今にうまく言葉にできないような疑問を持ち、こうあるべきだった理想を想像する」ことが如何に重大かだ。つまりそれは「迷子」になること。
 「単なるノスタルジーではなく」という紋切型の表現があるようにノスタルジーは今軽蔑されている。でもノスタルジーって今に疑問を持つことなんじゃないのかな。そうゆうことを、この皮肉屋のおじいちゃんは画面にぶつけているのではないかと。


2.ファンタジーとリアリティの融解。~映画づくりを熟知した匠の業~

 ウディ・アレンの映画では、その映画そのものの空気の担い手が女優がまといます。 例えば、『カイロの紫のバラ』では現実逃避癖のオドオドしたミア・ファローな空気。『それでも恋するバルセロナ』では情熱的で奔放なペネロペ・クルスな空気。『マッチ・ポイント』では官能的で破滅が香るスカーレット・ヨハンソンな空気。

 では『ミッドナイト・イン・パリ』はどうだろうか。それは間違いなくマリオン・コティヤールのファンタジックで幻夢的な空気。観客を恋に落とすほどの破壊力をこの女優は確かにまとっています。ボクもマリオン・コティヤールに恋をしてしまいました。

 『ミッドナイト・イン・パリ』はそんな煙に巻く夢の映画。 だがこの幻夢的な空気を成立させる為の、土台と骨組みが半端ではない。料理でいうなら、仕込みと下ごしらえが素晴らしい。

 鼻につく文化人気取りの男、右翼的でブルジョワな婚約者の親父・・・。とにかく主人公にからむ登場人物や場所の設定も、ぴたりとツボを押えて念入り。すると、自然に虚構であるファンタジーが生きてくる。完璧な虚構を支えるのはリアルな細部だという黄金律をウディ・アレンは熟知しています。ハッキリに言って、この映画の唯一無二の尋常じゃない心地良さは、ファンタジーとリアリティが溶けて混ざり合う感覚にこそある。だから、ボクら観客は主人公とともに、恋するほどの幻夢と戯れることができる。


3.『ヒューゴの不思議な発明』、『アーティスト』・・・。
  そして『ミッドナイト・イン・パリ』。


 御大ウディ・アレン。御歳76歳にして、自身最高のヒット作を作り上げる。スコッセシの『ヒューゴの不思議な発明』にせよ、ザナビシウスの『アーティスト』にせよ、古い時代への回帰の潮流が今あるのかもしれない。さらに、これらの傑作に共通するのは、「ファンタジー」の再考だ。映画本来の醍醐味は「現実では味わえない体験」だと考えます。
20年代後半からがサイレントの過渡期であったように、今は映画の過渡期にあるのかもしれない。だから、映画の未来に対し自問する時期にきていて、未知のものに直面した今、自分たちの出自に帰る思いがあるのだろうと思うのです。現実では味わえない夢の体験という映画へと。
 

2012年2月12日日曜日

ドラゴン・タトゥーの女


2011・アメリカ・スウェーデン 日本公開中
監督:デヴィッド・フィンチャー
脚本:スティーヴン・ザイリアン
原作:スティーグ・ラーソン
出演:ダニエル・クレイグ・ルーニー・マー、クリストファー・プラマー、ジュリアン・サンズ、ステラン・スカルスガルド、スティーヴン・バーコフ、ロビン・ライト・・・

昨日、デヴィッド・フィンチャー監督『ドラゴン・タトゥーの女』を日劇にて観てきました。予想以上の逸品に感動したので、レコメンドさせていただきます。ネタバレは避けますのでご安心を。

まず前知識としての、あらすじです。
  月刊誌「ミレニアム」で大物実業家の不正行為を暴いたジャーナリストのミカエル(ダニエル・クレイグ)。そんな彼のもとに、ある大財閥会長から40年前に起こった兄の孫娘失踪(しっそう)事件の調査依頼が舞い込む。連続猟奇殺人事件が失踪(しっそう)にかかわっていると察知したミカエルは、天才ハッカー、リスベット(ルーニー・マーラ)にリサーチ協力を求める。

原作はスティーブ・ラーソン氏による言わずと知れたベストセラー超濃厚ミステリー『ミレニアム』。これは母国スウェーデンで三部作として映画化されています。





 で今回、ハリウッド映画化のデヴィット・フィンチャー版『ドラゴン・タトゥーの女』。

まず、オープニングクレジット。グロテスクで生々しくも芸術的な映像美。ツェッペリンの『移民の歌』(アアアーアってやつ)を背景にうごめく漆黒の液体。これはリスベットの心の傷を表現してるとか。兎にも角にも、超絶カッコイイ。映画にフィンチャー印がくっきりと刻印され、物語は幕を開けます。


物語の軸となるのは、リスベットとミカエル。
・リスベット(ルーニーマーラ)⇒ドラゴン・タトゥーの女。ゴスファッションに身を包み、背中にドラゴンのタトゥーを刻む23歳の天才ハッカー。分厚い鎧の中に渦巻く憎悪、孤独、暴力を携える。
・ミカエル(ダニエル・クレイグ)⇒雑誌『ミレニアム』のジャーナリスト。大物実業家ヴェンネルストレムの不正を暴きながらも名誉毀損で有罪判決を下され、ハリエット事件の真相解明を依頼される。ダニエル・クレイグだけにとてもセクシー。

今回、フィンチャー自身が語っているように映画の中心軸に据えられているのは、この二人の関係性。そして、何といっても、リスベットの存在の大きさ。このドラゴン・タトゥーの女であるリスベットが魅力的なこと。パンクな天才的ハッカーとしてだけでなく、瞬時の情報分析能力を有し、レイプ魔豚野郎に天誅を下す反骨精神。ダークでアウトローな鎧の隙間からもれる人間臭さや恋心。それをそこはかとなく醸し出すルーニー・マーラとそれを演出するフィンチャーは流石。


 高福祉国家、幸福社会であるスウェーデン。しかし、それの裏側に蠢くのは女性差別、性犯罪、暴力・・・。どんな社会でも存在する生きることを許されないアウトロー。その象徴がリスベット。この個人の反抗が腐敗した社会への反駁へと繋がり、映画そのもののエネルギーとなって、観る者に迫ってくる。

 リスベットというキャラクター像を造形しただけでも、この映画の価値は確かにあると思う。ニューダークヒロインと言われているが、まさに。

 フィンチャーの世界観醸成力も素晴らしい。ダークブルーで冷えきった北欧の世界、土地特有の空気が、作品にキレを持たらしている。ポランスキーの『ゴースト・ライター』にも似た空気感。

 一方、フィンチャーファンとしては『セブン』などの彼の凶暴性を期待してしまうかもしれない。でも、本作において、それはあくまで物語上のファクターであり、本筋のミカエルとリスベットに主眼を置いて逸品に仕上げている。原作へのリスペクトが感じられ、これはとても好印象。フィンチャーの職人としての貫禄ですかね。

 凍てつくほど冷たいダークな空気こそフィンチャーの持ち味。『セブン』、『ゲーム』など初期衝動でこそ顕著です。『ベンジャミン・バトン』や『ソーシャル・ネットワーク』では手堅く人間ドラマとして傑作ですが、やっぱり個人的にはフィンチャーには冷たいダークさを期待してしまう。


 『ドラゴン・タトゥーの女』はそんな凍てつくダークな空気が画面から醸し出す。リスベットの造形然り、登場人物は本当に魅力的。登場するキャラを好きなる感覚。これはシリーズもので最重要なこと。一方で、民族主義、権力腐敗など、批判的社会派ドラマとしても成立。


 フィンチャーが彼のフィルモグラフィーの中で培ったあらゆる要素が有機的に結びついた集大成的作品。傑作と言える知的ダーク・ミステリーでした。




こちらがその超絶かっこいいオープニング・クレジット。

2011年12月29日木曜日

僕が選んだ2011年映画ベスト10

今年はベスト10やります。僕個人今年、都心のキャンパスに移動になったこともあり、劇場で見た映画の数が激増した一年でした。大学より映画館で多くの時間を過ごした一年でした。はい。不良大学生です。映画はやっぱりあの暗闇の中スクリーンでお客さんと一緒に共有してはじめて完結するもので・・・。

まぁ、御託はどうでもいいのでさっそくベスト10行きます。映画をこっちのが凄くてこっちが凄くないとかするのは個人的に嫌いなので、順位はあまり気にしないでください。ベスト10、すべての作品が自分の中でほぼ同等に傑作です。あと、当たり前ですが、映画の完成度とか素晴らしさってことより、個人的好みで選んでいます。どうぞご了承を。




第1位 『ミスター・ノーバディ』(4月公開)


人生の選択。幾重にも枝分かれしたパラレルワールドを極上の映像美でもって体験させる逸品。SF叙事詩の最高傑作。僕にとってこの作品以外ベストワンに考えられません!

「人間というのは不思議なもので,確定したはずの過去に『別の解釈可能性』があり,そのとき『別の選択肢をとった場合の私』というものがありえたと思うと,なぜか他人に優しくなって,生きる勇気が湧いてくるんです。」(「うほほいシネマクラブ」 内田樹著)

人生は選択の連続。細かな決断の結果が、今の自分だと思う。進学に恋愛。これからは就職、結婚・・・。小さい選択であっても、もし自分があの時別の選択をしていたら、違う決断を下していたら、今とは極端に異なる人生を歩んでいるのかもしれない。そしてこれから長い人生そうだ。僕自身の人生でも、まだまだ二十年しか生きてないけど、小さな選択大きな選択の積み重ねをしてきました。

でも、もし別の高校に進学したとしたら・・・。
もし別の大学に進学していたら・・・。
もし映画制作部に入っていなかったら・・・。
もしゼミに入っていなかったとしたら・・・。
もしあの時、あの入試問題に正解してしまっていたら・・・。
もし一人旅であの時、電車を降り過ごさなかったら・・・。

おおお!そんなん、一体どうなっているんだあああ!?

こんな21の若造でさえも、そんな思弁的な随想に耽ってしまう。この『ミスター・ノーバディ』という作品は。


『ミスター・ノーバディ』は、「人生の選択」をテーマにした、巨大SF叙事詩です。お話は
2092年、人間は科学の力で不死の人生を手に入れていた。突然目覚めた108歳のニモ(ジャレッド・レト)は、他の人たちと大きく異なっていた。彼は永久再生化を施していない、世界で唯一の「死ぬことのできる人間」だったのだ。もはや天然記念物扱いの彼の一挙一動は、全世界に生中継されていた。そんな折、ニモのもとにやって来たひとりの新聞記者が、ニモの過去に迫るべく質問を始めた。ベッドに身を横たえたニモは、おぼろげな記憶の数々をよみがえらせていくが、そこには虚実の境が見えない不思議な世界が広がっていた・・・。
というもの。

『インセプション』で描かれたのが「階層世界」のならば、『ミスター・ノーバディ』は「並行世界」つまりパラレルワールドのお話。

つまり、1の道と2の道があった場合、通常、映画が描くのは、主人公が「選択」したどちらか一方の道だけである。ところがこの映画は、1の道も2の道も両方描く。さらに現れた分岐点では、3の道も4の道も描く。終わってみれば、枝分かれして、12の道(人生)を描ききってしまうのです。

樹先生のおっしゃる通り、「確定したはずの過去に『別の解釈可能性』があり,そのとき『別の選択肢をとった場合の私』というものがありえたと思う」と必然的に、今の自分の状況や周囲の人が非常に尊い存在であることに直面するんだなあと思います。

う~ん。まあ、でも、僕個人も、未だにこの巨大な作品を完全には理解することはできていない状態ですからね(汗)その証拠にこの1位の記事がイチバン散雑してますから(笑)

少なくともこの映画は、簡単に感動を与えてくれるタイプの作品でも、安易に講釈をたれるタイプの作品でもありません。観客側から積極的にアプローチをかけて、その真意を読み解くことが要されるタイプの作品です。パラレルに展開される12の物語を破綻させることなくまとめあげたジャコ・ヴァン・ドルマン監督の鋭い論理的思考と、芸術性に優れた絵作りに圧巻でした。右脳にも左脳にも訴えかける力を持っています。

でも、それは、万人受けするという意味ではありません。

好き嫌いは分かれる映画でしょう。でも、脳の全領域をフル稼働させた者だけに、ようやく示唆めいたものが見えてくる。そういう映画なんだと思います。手ごわいですが、極上の余韻が味わえます。

種類としては、『エターナル・サンシャイン』、『バタフライ・エフェクト』、『インセプション』、『落下の王国』あたりが好きな人は必見です。



もし、あの時、あいつがこの映画を薦めてくれなかったら。あの時、この映画のレイトショーを渋谷に観に行かなかったら・・・。

というわけで、2011年僕の選んだベスト1はジャコ・ヴァン・ドルマル監督作品『ミスター・ノーバディ』でした。この作品に出会えたことを心より感謝します。

これだから、映画はやめられないんだよな~。






第2位 『127時間』(6月公開)


これは過酷な大自然に打ち克つスペクタクルなどではありません。渓谷で落石に右腕を挟まれ、身動きできなくなったひとりの青年の5日と7時間。被写体はほぼ岩と男だけ。これを劇仕立てにしようというのだから、まさに冒険映画ならぬ映画的冒険ってなわけです。
ってな感じで、主人公が一歩も動かないアクション映画が『127時間』。これほど変化に乏しい素材もなかなかありませんよ。そんでもって、そもそもこのストーリーは、「予想外」が起こりにくい性質のものです。おそらく100%、誰もが予想した通りにしかならない、ならざるをえないシナリオです。

それを珠玉の映像技巧でもって極上のエンターテイメントに昇華させたダニー・ボイルの手腕は、どう考えたって認めざるを得ません。
つまりところ、彼の映像美学は決してギミックにとどまるものでは無いってことです。
例えば、瞬く間に活写される冒頭。それが表現するのは、都市の喧噪を逃れ自然を求める、いや、孤独を渇望するごく普通の青年の姿です。それは観る者に解放感を与えた直後、苦痛を共有させる仕掛けとして効果的なだけでなく、後々意味を帯びてくるのです。そこから流れで、迫真の一人芝居によって、あがき苦しむジェームズ・フランコは本当に不憫というか、皮肉というか・・・。

MTV風と揶揄されるダニー・ボイルの映像表現ですが、この作品ではそれがポジティブな《生》の象徴となっているのです。生きることへのダイナミズム。この作品はそれに満ち満ちています。
最後、アーロンが脱出後の叫び「HELP!」には、生きることへの渇望とイニシエーションを終えた青年の成長が込められているのだと思いました。う~ん。あの祝祭感は号泣必須ですね。
夏に一人旅を計画していた僕にとっては、その印象は骨の髄まで刻み込まれてしまいました。


あ、あと「2011年タイトルの出方のかっこよさランキング」があったとしら、間違いなく本作が堂々の1位ですよ~。






第3位 『ザ・タウン』(2月公開)


強盗のリーダー、ダグ(ベン・アフレック)が、ある女性を愛したことによって足を洗おうとしますが、仲間との繋がりのため対立を深めていくさまと、さらに追及の手を緩めないFBIとの手に汗握る攻防を描いた作品でした。
第一作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』に続いてのベン・アフレックの監督二作目。『ゴーン・ベイビー・ゴーン』でクリント・イーストウッドの継承者と言わしめたベン・アフレック。今作で本当にイーストウッドを継承するに値する大器である思わずにはいられませんでした。

つまり、自分をかっこよく撮る天才ってなわけです。

アクション、 サスペンス、 ロマンス、 ドラマ・・・。散漫になりがちな様々な要素を紡いでいるのは徹底した緊張感。緊張に緊張を持続させるプロットが秀逸すぎます。(脚本もベン・アフレックは噛んでいます。)「どうせ犯罪者だろ」 という心理から 「必ず生きて欲しい」そんな気持ちに変化させるプロットは実に巧みとしか言いようがありませんね。

描かれるテーマは、社会に背く仕事、仲間との仁義、惚れてしまった堅気の女・・・。『ザ・タウン』のあのラストは、フレンチノワール、香港ノワール、東映ヤクザ映画、スコセッシ作品、マイケル・マン作品など連綿と受け継がれるテーマへの独自解釈と回答を提出なのではないかと思ってしまうのです。う~む、ベン、やりおるな。

あと、アメリカ映画ファンとしては、主人公ベン・アフレックと凶悪な相棒ジェレミー・レナーの関係は、スコッセシ黄金期のロバート・デ・ニーロとジョー・ペシを重ねずにはいられませんでしたね。






第4位 『ミッション:8ミニッツ』(10月公開)


『月に囚われた男』のダンカン・ジョーンズ監督二作目。デヴィット・ボウイの息子!と宣伝される彼だが、ダンカン・ジョーンズの父デヴィット・ボウイと言われる日も近いかもしれない。
僕がこの作品を鑑賞したのは実は8月。公開前です。というのも、一人旅からの帰りの飛行機の中で鑑賞しました。航空会社がブリティッシュ・エアウェイズだったから。何もすることのない機内で、何の気なしに観たら・・・

なんと、まぁ、近年稀なSFの傑作ではないか!
2週間の禁映画生活からの思わぬ大傑作ではないか!
飛行機の中でひとり大興奮ではないか!

そんな感じで1人エキサイトしていたら、隣に座っていたイギリス人の少年とCAさんに白い目で見られてしまいました。このジャパニーズはクレイジーなんじゃないかと。

「映画通ほど騙される」コピーに偽りなしです。オチの感想は未見の方のために言いません。

ありきたりなオチなんじゃないかと期待以上に不安先行で鑑賞してください。どうせ騙されないよなどと片意地張って鑑賞してください。そんな感情も見事に破壊してくれますから。

是非この作品のスピード感にぶっ飛んでください。

前作『月に囚われた男』も傑作、今作『ミッション:8ミニッツ』も大傑作。恐るべしダンカン・ジョーンズ。みなさん、これからはデヴィット・ボウイを宣伝するとき「ダンカン・ジョーンズの父。」と言いましょう。






第5位 『ブラック・スワン』(5月公開)


いや~~~、映画ってほんっっっっっっっっっっっとうにおもしろいっすわ。

映画の可能性の幅を見せつけてくれた、そんな5月でした。

『レクイエム・フォー・ドリーム』、『レスラー』のダーレン・アロノフスキー監督。彼の真骨頂は痛ーい、痛ーい神経逆撫でアバンギャルド演出。今作は、その独特の演出&観る人がナタリーと同化したかのような錯覚に陥らせるストーリーテリングとが相まって、もう五臓六腑を鷲掴みにされるようなゾクゾク感と衝撃でしたね。

ラスト、最強のカタルシス。エンドロールが終わっても、アワアワ言って席を立てない自分がいました。

ナタリー・ポートマン。僕ら世代、『スター・ウォーズ』新三部作から見守ってきたと勝手に自称します。そんな僕らのナタリー。見事マスターベーションをやってのけた僕らのナタリー。僕らは彼女にスタンディングオベーションを捧げます。






第6位 『50/50』(12月公開)

ご多分に漏れず『インセプション』と『(500)日のサマー』でジョセフ・ゴードン・レヴィットにやられてしまったクチです。彼が主演ときたら見逃せない。そんな今日この頃です。

それに、セス・ローゲン共演ときたら、もうね・・・。

まず、特筆すべきは闘病映画が秀逸コメディーになっている点。悲劇の真っ最中だというのに、それを笑い飛ばす不謹慎さがそのうち実に気持ちよくなってくる。同じ闘病仲間の自己紹介シーンなども、毒のある笑いで観客を笑わせ心を解きほぐした直後に、深刻すぎる病状が明らかになるなど、落差の激しい悲喜劇のサンドイッチ構造。アメリカンコメディ、それも悲喜劇トラジコメディーの神髄を見ました。

闘病映画でありながらコメディーとして秀逸なのは、ひとつひとつの描写が本当に本当にやさしいから。それは映画が脚本家とセス・ローゲンの実体験に着想されているからだろう。つくり手の思いは映画の画面に出てしまうのです。

主人公を支える心理療法士役のアナ・ケドリックも実にチャーミング。『マイレージ・マイライフ』で新入社員役を演じていた彼女です。

完璧すぎるのは、ラストからエンドロールへの流れ。パール・ジャムのYellow Ledbetter。自然に涙がじわっと。


70年代がポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、80年代がハリソン・フォードとそれぞれの時代を象徴するアイコンとして映画俳優という存在があります。そしてジョセフ・ゴードン・レヴィットは現代という時代をよく象徴している映画俳優なのではないかと思うのです。あの透き通っているような、やりきれない微笑がどこか魅力的だったりとか。彼という存在に自分自身を投影してしまう世の中の男はめちゃくちゃ多いのではないだろうか。ご多分に漏れずボクがそうなように・・・。






第7位 『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』(6月公開)


『キック・アス』マシュー・ヴォーン監督による『X-MEN』の前日譚。正直言うとあまり期待せずに鑑賞したのですが、とんでもない快作。X-MENシリーズ最高傑作でした。

X-MENシリーズは史実を織り交ぜた社会性、ミュータントに象徴されるマイノリティと差別というテーマです。そこで今回出てくるのがキューバ危機。人の心を操作し、戦闘を回避させようとするチャールズ。武器をねじ曲げ、力で人を押さえ込もうとするエリック。第三次世界大戦は、ケネディではなく、ミュータントによって回避されたと信じたくなるような、展開・映像ともに本当に見事です。

リンカーン記念館の前でチェスをするチャールズとエリックに、キング牧師とマルコムXの姿を象徴させる演出があります。僕は近年の映画内のメタ表現の中で最も美しい表現ではないか思います。
新三部作の一作目だとか。楽しみな限りです。






第8位 『ゴースト・ライター』(8月公開)


やっぱり、ロマン・ポランスキー監督はすごいや~。あははは~。

久々の巻き込まれ型サスペンス&政治陰謀型心理サスペンスの大傑作でした。名作『チャイナタウン』や『フランティック』などでも語られるように、ポランスキー監督はヒッチコック監督の正統派継承者であると言えます。そして、映画に映画的な幻想的な幻惑的な雰囲気をつくりだし、画面たぎらせることの天才であることを今作で改めて示してします。あの寒々しく、殺風景で、幻惑的なあの感じ・・・。そんなこと思っていると『第三の男』のキャロル・リードを髣髴したりして。

ポランスキーはヒッチコック+キャロル・リードぐらいのレベルに達してるんじゃないかな。

そして、あの終わり方。おしゃれすぎますよ。ポランスキーさん。






第9位 『モテキ』(9月公開)


イエ―イ! モテキ~~~~!!!


「ああ~、やっと日本でぼくたちみたいなモテない奴のための恋愛映画をつくってくれたよ。」というモテない現代サブカル男子としての個人的喜びと、FUCKなテレビ邦画に一石を投じてくれたという日本の映画ファンとしての喜びと、長澤まさみのエロさへの性的悦びからです。

ハッキリ言って映画としての完成度からしたらまだまだだし、映画的に『ラスト・ターゲット』と比べたら『モテキ』は劣ります。しかし、モテない現代男子、日本の映画ファンとしてこの映画に心から拍手を贈りたいのです。

タマフルでの放送作家高橋洋二氏の言葉を借りるなら、2011年現在でしか撮ることのできない作品をつくってくれたこと。ミューズとしての長澤まさみが自分の好きなコト、才能のあるコトを仕事にできるかという青年期独特の将来への不安と期待のメタファーとしての存在。確かにそうですね。
ってなわけで僕らの映画『モテキ』を第9位に選ばせていただきます。

物語は~、ちと不安定~~♪






第10位 『ラスト・ターゲット』(7月公開)

イチバン好きな映画俳優はだれかと聞かれたら。僕がそう聞かれたら答える一人の俳優はジョージ・クルーニー兄貴です。そんな兄貴主演で、世界的写真家で『コントロール』をつくったアントン・コービン監督の作品。

東映ヤクザ映画やマイケル・マン作品  を髣髴させる上質のハード・ボイルド作品でした。兄貴は最近ヒューマンドラマ系やコメディ映画でご活躍ですが、この作品のまた違ったかっこよさなんです。
男が惚れる男の映画!あ、ぼくにそっちの気はありませんよ。ペキンパーとかマイケル・マンとか深作欣二作品にあるあれです。あのかっこよさです。

とにかくジョージ・クルーニーがかっこいいのです。アントン・コービンはジョージ兄貴を最高にカッコよく撮ることに成功しています。女と仕事、組織と仁義とかそんな映画に狂った僕にはどストライクな作品でした。


あ、因みにぼくの部屋にはこの映画のデカいポスターが飾ってあります。






あと、その他、2011年僕が個人的に素晴らしかったと思う映画は、『BIUTIFUL』、『ミッション・イン・ポッシブル:ゴースト・プロトコル』、『宇宙人ポール』、『猿の惑星 創世記』、『リアル・スティール』、『ウィンターズ・ボーン』、『コンテイジョン』あたりです。


ではでは、2012年もよろしくお願いします!良いお年を、良い映画年をお迎えください。


よっし!2012年も映画館へ行こうっと!

2011年9月18日日曜日

未来を生きる君たちへ


2010・デンマーク・スウェーデン
監督:スサンネ・ビア
脚本:アナス・トマス・イェンセン
原案:スサンネ・ビア、アナス・トマス・イェンセン
出演:ミカエル・パシューブランド、トリーヌ・ディルホム、ウルリク・トムセン、ウィリアム・ヨンク・ユエルス・ニルセン、マルクス・リゴード

久しぶりの更新ですっ!この2ヶ月間、ヨーロッパをひとり放浪したりと色々ありました。これからはより一層映画に敬意と愛を込めて、ブログを書かせていただきたく存じます。
そして今回は実は初なのですが、公開中の作品を取り上げます。この作品は以前、映画評論家の町山智浩氏がラジオにて、日本公開前にこの作品を取り上げていて、ビンラディン殺害と絡めて論じていたのが印象的でした。個人的にそれ以来ずっと気なっていた作品で、ついに先日日比谷シャンテで観てきたので投稿します。


  『未来を生きる君たちへ』

 医師アントン(ミカエル・ペルスブラント)は、デンマークとアフリカの難民キャンプを行き来する生活を送っていた。長男エリアス(マークス・リーゴード)は学校で執拗(しつよう)ないじめを受けていたが、ある日彼のクラスに転校してきたクリスチャン(ヴィリアム・ユンク・ニールセン)に助けられる。母親をガンで亡くしばかりのクリスチャンと、エリアスは親交を深めていくが・・・。

 本年度のアカデミー賞外国語映画賞を受賞したデンマークの作品。

同時に、邦題へのツッコミが後を絶たない作品です。これは英題の『IN A BETTER WORLD』にニュアンスが近い希望的なものに近づけたためですね。しかし、そもそもの原題は『HÆVNEN(復讐)』とストレート。そしてこの原題こそが作品の主題となっているんです。

本作はある2組の家族が抱える葛藤(かっとう)から複雑に絡み合った世界の問題を浮き彫りにし、登場人物それぞれが復讐と赦しのはざまで揺れ動くさまを描写しています。復讐の連鎖でつながる世界を浮き彫りにし、圧倒的緊張感で画面をたぎらせます。

そのように、映画は北欧とアフリカ、大人と子供、男と女など、幾つものコントラストの中に存在する不寛容と、そこから生まれる負の連鎖を描き出してゆきますが、単純に暴力はいけない!、連鎖を断ち切らねば!、という事を声高に主張する訳ではなく、むしろ暴力を否定する事によるジレンマを描く事で《非暴力の難しさ》を突きつけるのです。
そんなこの映画は大きく二つの世界によって構成されています。一つは、エリアスとクリスチャンという子供たちの視点。もう一つは、アフリカ難民キャンプでのエリアスの父アントンの視点です。この二つの世界の魅せるコントラストがこの映画の要となっています。


 クリスチャンが、転入した学校で出会うのが、スウェーデン人のエリアスで、彼は執拗なイジメを受けています。しかし、やり返す事ができないでいるのです。たまたまエリアスと親しくなった事で、暴力に巻き込まれたクリスチャンは、躊躇する事無くいじめっ子のボスに対し熾烈な復讐を行い、結果的にいじめっ子は二人に手出しできなります。より強大な恐怖によって、小さな恐怖を遠ざけた瞬間です。
しかし、エリアスの父親であるアントンは、自らを差別的に蔑み殴った相手に対して、問いただす事はしてもやり返す事はしません。「殴られた。だから殴った。戦争はそうやって始まるんだ。」これはアフリカの紛争地で活動する彼は、復讐の連鎖が如何に巨大な怪物に育つかを良く知っているから。しかしそれは、クリスチャンにとっては単なる事なかれ主義にしか見えないのです。そしてクリスチャンとエリアスはとある行動に移してゆきます・・・。

 
一方、アフリカ難民キャンプでアントンもまた大きな矛盾にぶち当たります。ある日沢山の妊婦を虐殺してきた男が患者として運ばれて来るのです。
 アントンが信条とし、クリスチャンに見せた理想は、暴力が日常である苛酷な現実の前で、余りにも無力なのです。圧倒的非暴力の無力さ。これを提示される瞬間。


スサンネ・ビア監督は、デンマークの少年達とアフリカで活動する医師の姿を通して、暴力には暴力で対抗するべきなのか、或いは何があっても非暴力を貫くべきなのか、この非常に終わりのない自問自答を観客に問いかけます。それは映画館を後にしてもしばらく頭の中を巡ります。

どんなに非暴力の理想を持つ人でも、例えばクリスチャンがいじめっ子をボッコボコに殴るシーン、或いは悪漢がぐちゃぐちゃにリンチされるシーン。ここで観るものは悪しき者が罰せられたという一種の恍惚感を感じることでしょう。復讐のカタルシスです。客観的にみるとこれは怖いのでは。
暴力を捨て、憎しみを捨て、寛容に生きるという事は、言うほど簡単な事ではない。なぜならそれは、子供のイジメから、国家間の戦争に至るまで、人類が出現した時点から抱えている言わば原罪であり、それが人間が人間たる所以であるからです。


その中で登場人物はある決断をします。

このテーマは身近な問題でもあるため、これまでの作品と違い自分の物語として捉える観客も多いかと思います。それだけに主人公たちの決断、赦しの姿勢に共感できない人もいるかと思いました。
しかしこの作品の魅力はテーマや題材そのものではないのです。ラストで常に希望を感じさせるのは、下した決断の正しかった結果として希望があるのではなく、決断することで前進していく姿に、観るほうが希望を見出すからでしょう。何が起こっても、それでも生き続けていくのだという人間の強さを感じさせる点に、心が動かされるのかもしれません。


9・11テロからちょうど10年。
この復讐の10年。それを振り替えさせる映画でした。この機会にぜひ映画館へ。

2011年7月9日土曜日

《ぼくらのゼロ年代。》 ゆれる


2006・日本
監督:西川美和
脚本:西川美和
出演:オダギリ・ジョー、香川照之、伊武雅刀、新井浩文、真木よう子、蟹江敬三、木村祐一

久しぶりの邦画。個人的な趣味嗜好からやはり洋画に偏ってしまうのは否めない。でも、拳銃バンバンとか車ドッカーンみたいな映画ばかり取り上げても、頭が悪いことがばれてしまいそうなのでたまには邦画も。

 まず、ゼロ年代邦画の総論ですが、日本におけるこの10年間の映画界の大きな潮流として、アメリカ映画、いわゆるハリウッド映画を観る人が減り、邦画がよく健闘したと言われます。その一因として、9・11とイラク戦争以降、排他性が強まったことがあるのかもしれない。個人的実感としては、ゼロ年代の初頭からその傾向は強まってゆき、2008年の『ダークナイト』の作品のクオリティとその観客数に驚かされ、確信に至りましたね。そして、そこで問題にされるべきは「作品のレベル」と「集客」の過剰なアンバランスがあるのではないかということです。

そういった潮流に乗ってゼロ年代には邦画バブルの結果、膨大なゴミ邦画が量産されることとなります。しかし、その中、掃き溜めに埋もれず燦然と輝く才能と傑作はありました。

園子温の『愛のむきだし』、深作欣二の『バトルロワイヤル』、犬童一心の『ジョゼと虎と魚たち』、岩井俊二の『リリィ・シュシュのすべて』、周防正行の『それでもボクはやっていない』、山下敦弘の『リンダリンダリンダ』、三池崇史の『殺し屋1』、是枝裕和の『誰も知らない』・・・etc
などなど、それぞれに思い出深いベスト邦画があるかと思います。

そこで、おこがましいですが、ぼくが邦画ゼロ年代ベストを選ぶとしたら迷わず本作をあげます。


 西川美和監督作『ゆれる』。

 恋人や友人、その関係が切れるとこはある。しかし、兄弟は、近くて遠い似ているようで異なる、最も身近な他者としてある関係。それは互いに相手を切断できない宿命にあり、無情にも「ゆれる」しかない。


カメラマンとしても成功し、東京で派手に暮らす弟(オダギリジョー)。家業のちっぽけなガソリンスタンドを継ぎ、女に縁がなく、老いた父と二人で暮らすさえない兄(香川照之)。この二人が久しぶりの法事に、故郷で再会するところから物語は始まる。 弟は、兄が面倒な実家のもろもろを背負い込んでくれたから、東京で好きなことをやっていられるのだと薄々気づいていながら、何でも許してくれる優しく面倒見のよい兄に、無意識に甘えている状態。この日もあろう事か、兄が思いを寄せている二人の幼馴染の女(真木よう子)を送った後、そのまま部屋で抱いてしまう。そしてその翌日、事件はおきる。3人でドライブに出かけた渓谷のつり橋で、幼馴染の女だけが墜落死してしまうのだ。 さて、これは事故か、殺人事件か。唯一の目撃者となった弟の記憶もゆれる・・・。


真実の虚偽性、心理が生み出す主観性、嘘と真実、愛と裏切り・・・。それらすべてを真実と嘘に翻弄された兄弟の姿を通して体感させてしまいます。ぽっと投げ出されるひとこと、ふたことが、ゆれを生み出す。相手に対するゆれ、自身へのゆれが、観ているこちら側にも侵食し、題名通り、胸を掴んで揺さぶる。

まず、序盤の巧みさ。何やら怠惰に忙しそうなオダギリ・ジョー扮する猛が映る。まず、定点カメラの引きのワンショットでとらえる。「二年ぶりの休み」という微かな台詞と自由で縛りのない多忙ぶり。どうやら彼がカメラマンで久しぶりの里帰りすることが分かります。そして女に強烈なキスを味わらせ、さっそうとビンテージものの外車に乗り込む。ガソリンスタンドで会う女。女に猛獣のように噛みつくはずの彼は隠れるようにして目をそらす。
そこで疑問が浮かぶ。この男と女はどのような関係なのか。その知られざる関係は、一切台詞のない彼の動作と彼女の一歩間に合わないガラス越しの指先で表現されている。


 余計な説明を省く、と言うよりも、むしろ策略的な説明排除によって、映画的なミステリーを創り出し、観る者の視線と思考と感情をスクリーンに釘付けにしてしまう。まさに役者の動きによって、映画の空気を動く感覚。そのダイナミズムが確かにこの映画には存在します。 


ところで、邦画の邦画たる所以は、ぼくここにこそあるのだと思います。
アメリカ映画のようなド派手なアクションはなくとも、演者の微細な心情の動きをとらえ、その一変した映画の空気そのもので観客を圧倒するダイナミズム。ハリウッド製アクションとは、一線も二線も画す本当の意味でパワーをもった映像の力。


 それを可能にするのは、西川監督が役者を大変に信じ、役者の演技が映画作品において視覚表現以上の大変重厚な空気を生み出すことを知っていること。
 やっぱり、オダギリ・ジョーと香川照之はもう凄いっす・・・。香川照之扮する兄は、表情としてニコニコし、優しい人柄に思えるが、その瞳の奥に潜む本心が強烈に観る者の心を突き刺します。さらに、時にそのポーカーフェイスは強烈な皮肉を生み出します。面会場で「お前はさ、真実を事実として見てないんだよ」と呟く彼の顔面と言葉は裏腹で非常にシニシズムに溢れている。そしてラスト。全てを思い出し、懺悔がうごめく中、弟と兄は・・・。
また、題名「ゆれる」の通り、吊り橋が一つのモチーフとなって、弟と兄の「ゆれる」心情を象徴しているのも、非常に綺麗にまとまっていて、心憎い!って感じですね。


まさに、主人公たちの感覚の間を彷徨う映画。映画的な表現、それを動かす役者の演技、それら全てを惹きだす策略的な脚本。小津以来連綿と受け継がれてきた日本映画の芸術性、エンタメ性が見事に昇華されたいわば、日本映画の集大成的作品といえるのではないでしょうか。