2010年12月31日金曜日

ヒート

 1995・アメリカ
監督:マイケル・マン
製作総指揮:アーノン・ミルチャン、ピーター・ジャン・ブルージ
製作:マイケル・マン、アート・リンソン
脚本:マイケル・マン
出演:アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ヴァル・キルマー、ジョン・ヴォイド、ナタリー・ポートマン

 男臭すぎる映画特集第3回『ヒート』。アル・パチーノとロバート・デ・ニーロの競演。映画ファンなら口からよだれが止まらなくなる事態。それも、アル・パチーノを刑事役、デ・ニーロを犯罪のプロ役となかなか挑戦的な配役。そして監督は、現在ハードボイルドな群像劇を撮らせたら右に出る者なし、マイケル・マン。さらに、脇を固めるのは、ジョン・ヴォイド、ヴァル・キルマー、そしてナタリー・ポートマン。もはや完全無欠の布陣。  こりゃ、面白くねぇわけないでしょ。
 内容は、硬派でありながらフィルム・ノワール的な哀愁に満ちており、男同士の奇妙な連帯感を描きつつ、痛切なシーンが要所要所であります。あらすじですが、以下になります。

 
 プロの犯罪者であるニール率いるチームは、現金輸送車から多額の無記名証券を奪取するが、新参者の起こしたトラブルや取引相手の裏切りで厄介な状況に追い込まれる。 一方、事件をききつけた警部のヴィンセントは、わずかな手がかりからチームのメンバーを割り出すことに成功、執拗な追跡を開始する。捜査の過程で二人は、やがて対極に位置する存在でありながら、お互いの存在に不思議な共感をおぼえるが…

 ここでひとつ断っておきます。パチーノとデ・ニーロ、は2人同時に同じ画面に映ってるシーンは思ったより多くありません。人によっては、少し肩すかしをくらった感じがするかもしれません。

 しかし、僕は『ヒート』を観たときそういった物足りなさは、全く感じませんでした。なぜなら、プロの犯罪者のデニーロと、それを追う刑事のパチーノ。決して、相容れない間柄でありながら、お互いのプロ意識には一目置き、それに関しては、むしろ共通点すら見いだしている。 道は違えど、そこにはかすかな友情に似た奇妙な感情が。「俺はヤマをふむプロ、あんたは、それを阻止するプロ」。そして、それらの感情がお互い会わずしても、肉食獣の本能からなのか、察知し、一進一退の駆け引きを展開する。つまり、そこにこそ会わずして魅せる、語らずして魅せるという二大俳優の職人芸が凝縮されているからなのです。
 
 アル・パチーノは、背が低くて、実際、作品中でも引き連れている警官連中の中で一段背が低いことを感じるのですが、そんなことを軽く吹き飛ばす勢いの迫力ある口調と存在感はさすがですね。

 また、アクションでの一番の見せ場である市街地での銃撃戦は圧巻です。まずハンドガンではなく、アサルトライフルで激しく撃ち合います。また他の安いアクション映画と違うのは、走りながらではなく、車や柱に隠れ、止まった状態でサイト越しに狙いを定めて発砲することを徹底していたこと。アル・パチーノが走りながら車に身を潜め、徐々に追い込んでいく様子、連動するカメラワークは感動ものです。銃撃音が本物であったりと、発砲する際の反動が伝わってくるほどのリアリティです。

 もしあなたが男性なら「あーわかるわかる」と感じだろうし、女性なら「あぁ、なんて男ってバカなんだろう」と思って観ることになるだろうと思います。

 パチーノさん、デ・ニーロさん、おいらぁ、一生あんたらについて行きやすぜ。

2010年12月29日水曜日

フレンチ・コネクション

1971・アメリカ
監督:ウィリアム・フリードキン
製作総指揮:G・デイヴィッド・シャイン
製作:フィリップ・ダントーニ
脚本:アーネスト・タイディマン
出演:ジーン・ハックマン、ロイ・シャイダー、フェルナンド・レイ、マルセル・ボズッフィ、トニー・ロー・ビアンコ

 男臭すぎる映画特集第2回『フレンチ・コネクション』。超がつく固ゆで映画です。本作は『エクソシスト』など知られるウィリアム・フリードキン監督によるもので、第44回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、編集賞の5部門を受賞した傑作です。実際の麻薬事件をモデルにしたノンフィクションで、マルセイユとニューヨークを結ぶ麻薬取引のルートを背景に、“ポパイ”ことドイル刑事が麻薬組織壊滅に執念を燃やす姿を描いています。『フレンチ・コネクション』という題名もフランスのマルセイユとの麻薬ルートを意味しています。

 と、このように内容を一言で説明してしまうと、よくある刑事モノじゃん、と思うでしょ。でも、この映画は違うんですよ。

 それは、リアリズムです。

 そもそも、虚構の世界である映画とリアリズムとの関係は、切っても切れないものです。もちろん、リアリズムに徹した映画の方が面白いかというと必ずしもそうとは限りません。リアリズムに徹しながらも娯楽性をも兼ね備えるのはなかなか難しいのです。とは言え、最近のハリウッド映画の刑事物では『リーサル・ウェポン』や『ダイ・ハード』ぐらい娯楽に徹すればまだしも、中途半端にリアリズムを持ち込んだくだらない作品の多いことにうんざりさせられます。その点、スティーブン・ソダバーグ監督の『トラフィック』あたりは、久々にリアリズムに徹しながらも娯楽性を兼ね備えた貴重な作品でした。

 ではこうしたリアリズム追求型刑事物の原点は何か?と考えてみると、それは文句なしにこの『フレンチ・コネクション』ということになるでしょう。つまり、本作『フレンチ・コネクション』は、虚構とリアリズムを絶妙に融合させています。ジーパン履いたおっさんがバイクに乗りながら、真っ昼間にショットガンぶっ放す(石○軍団のように)、ありえへんやろと言ってしまうような非現実感は排除され、かといって、リアリズムを徹底しすぎて変に社会派ぶってもいない。だからこそ、アクションシーンは手に汗握る。

 そして、主人公ドイル。『フレンチ・コネクション』の主人公、ドイル刑事の描き方はどう見ても英雄とはほど遠いものです。言葉使いは4文字言葉の連発だし、着る物のセンスは最悪だし、マゾの気はあるし、犯罪者には情け容赦なく暴力をふるうし、・・・。ワイロを受け付けていないのが、不思議なぐらいです。この映画の主人公、二人の刑事が実在の人物だと知らなかったら、とてもこの映画がリアリズムに徹しているとは思えないかもしれません。
 ところが、この映画のモデルとなった刑事のお母さん(実際の事件を担当し、モデルとなった刑事はアドバイザーとして、制作に協力しています。)が、この映画をみて、「なんだ、どうせ本物の刑事を使うなら、うちの息子を主役にして欲しかった」と言ったそうです。いかに、ジーン・ハックマンの演技が真に迫っていたのか、さすがアカデミー主演男優賞をとっただけのことはあります。

 

 高架橋下のカー・チェイスシーンや寒空での鬼気迫る尾行シーンは、リアリズムとの融合が可能にした尋常ではない緊迫感に包まれます。映画ファンならずとも一見の価値ありです。      (CG使わずにここまで魅せるかねっ!!)


 『ブリット』、『ダーティー・ハリー』などとともに映画史に燦然と輝く刑事アクションの金字塔であり、同時にドキュメンタリータッチのパイオニア的映画と言えるでしょう。

2010年12月25日土曜日

ワイルドバンチ


 

1969・アメリカ
監督:サム・ペキンパー
製作:フィル・フェルドマン
脚本:ウォロン・グリーン、サム・ペキンパー
出演者:ウィリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナイン、ロバート・ライアン、エルモンド・オブライエン、ウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソン
   
 メリー・クリスマス!!恋人達の季節、クリスマス・・・。嬉しいような、悲しいような、シングルマンの僕のクリスマスは、今年もまた過ぎ去ってゆく訳ですが・・・。どうせ映画なんか詳しくてもちっとも、もてねぇさ。
 
 えーーい!! こうなったら、やけくそだぁ!!

 男臭すぎる映画特集うぁあああ!!!!!

 これを見ている僕のようにもてない君もこれから紹介する映画を観て、男のロマンに浸ってくれ。

 ってなわけで、男臭すぎる映画特集第一回『ワイルドバンチ』、いってみましょう。本作はバイオレンス映画の名匠サム・ペキンパー監督にによるもので、時代の波に取り残された無法者たちの滅びの美学を描いた作品であり、西部劇に引導を渡した「最後の西部劇」と呼ばれています。また、ペキンパー監督の最高傑作として高く評価されています。サム・ペキンパーの名前を知らない方も多いと思いますが、実は、彼独特の映像センスは後世のタランティーノや『マトリックス』シリーズのウォシャウスキー兄弟などに多大な影響を与えています。  あらすじですが、以下になります。


 1913年、メキシコとの国境近くの町で8人の強盗団が鉄道事務所に押し入るが、鉄道が雇った賞金稼ぎたちに待ち伏せされ、通りで銃撃戦となる。強盗団のうち5人が逃げ延びる。リーダーのバイク・ビショップ、相棒のダッチ、下品で文句ばかり言っているゴーチ兄弟、若いメキシコ人エンジェルである。隠れ場所に戻った彼らが強奪した袋を開けてみると、金貨ではなく、ボルトの座金が詰め込まれていた。
 一団は国境を越え、内戦が続くメキシコに入る。エンジェルの故郷の村に着いた彼らは、その地方が政府軍のマパッチ将軍に脅かされているのを知る。エンジェルは、自分の彼女テレサが自らマパッチについていったことを知って嘆く。
 一団は、マパッチの軍隊が本拠地とするアグアベルデに行く。エンジェルは、自分の彼女テレサがマパッチのひざの上に乗っているのを見て、彼女を射殺する。マパッチは、エンジェルが自分を狙ったのではないと分かると、彼を釈放する。一団は、アメリカの列車から武器を盗むようマパッチから依頼される。
 列車強盗は成功し、武器はマパッチに渡されるが、エンジェルは、マパッチと戦う山の人々に武器一箱を渡す。それを知ったマパッチは、エンジェルを捕まえて、残酷な仕打ちをする。一団は、エンジェルを助けるために、死を覚悟で殴りこみに行く・・・。


 本作の魅力としてまずあげられるのは、スローモーションや細かいカット割りなどを駆使した暴力描写や戦闘シーンでしょう。特に6台のマルチカメラを用いて11日間ぶっ通しで撮影されたというラストの壮絶な大銃撃戦は、「デス・バレエ」(死のバレエ)、「ボリスティック・バレティックス」(弾道バレエ)などと呼ばれ、後続の映画製作者たちに多大な影響を及ぼしました。
 しかし、この作品が傑作とされる本当の所以は、バイオレンス巨編だから、暴力描写が美しすぎるからといったものではないと思います。それは、この荒ぶりながらも美しいエレジーが、これ以上無きまでに去り逝く者への鎮魂と残された者の悲哀とを絶妙なバランス感覚を持って同時に描き切っているからなのです。 
 
 皆人生をそれなりに謳歌し去って逝った無法者たち。パイクに扮したウィリアム・ホールデンをはじめ、アーネスト・ボーグナインもウォーレン・オーツもハイミー・サンチェスもベン・ジョンソンも皆素晴らしい。しかし、、最終的に物語の比重は、生きることの悲しさを一身に背負う、元の仲間でありながら追跡者にならざるを得なかったロバート・ライアンにこそあります。 
 
 ライアン演じるデーク・ソーントンは本編全体を覆う余韻の発信源なのです。強烈に自己主張するわけでもなく、かといって己を見失っているわけではない。ただただ、今このとき己のせねばならないことをひたむきに遂行しようと一途です。その中庸なオーラがフィルム全体にこのうえもなく美しい余韻を与えています。そしてこの余韻こそに『ワイルドバンチ』の感慨深い独自性があると思います。

 思わず、語りすぎてしまいましたが・・・。ご自身の目で確かめてみるのが一番かと。


 男の生き様ここにありです。

2010年12月23日木曜日

アメリカン・ビューティー


1999年・アメリカ
監督:サム・メンデス
製作:ブルース・コーエン、ダン・ジンクス
脚本:アラン・ボール
出演:ケビン・スペイシー、アネット・ベニング、ソーラ・バーチ、ウェス・ベントリー、ミーナ・スヴァーリ
 
 今回、サム・メンデス監督」による『アメリカン・ビューティー』。『アメリカン・ビューティー』、それは妻が植えて育てている、そして室内にも飾られているバラの品種の名前です。そして、もう一つの意味は「アメリカの美」ですね。しかし、「アメリカの美」という美しいタイトルとは逆に、そこに描かれるのは、崩壊した家族の実状です。

あらすじですが、以下になります。
広告代理店に勤め、シカゴ郊外に住む42歳のレスター・バーナム。彼は一見幸せな家庭を築いているように見える。しかし不動産業を営む妻のキャロラインは見栄っ張りで自分が成功することで頭がいっぱい。娘のジェーンは典型的なティーンエイジャーで、父親のことを嫌っている。レスター自身も中年の危機を感じていた。そんなある日、レスターは娘のチアリーディングを見に行って、彼女の親友アンジェラに恋をしてしまう。そのときから、諦めきったレスターの周りに完成していた均衡は徐々に崩れ、彼の家族をめぐる人々の本音と真実が暴かれてゆく。

 本作は、アカデミー賞監督賞、主演男優賞、脚本賞、撮影賞など5部門に輝いています。観た後の率直な感想ですが、この作品は完成度が高い。とてつもない衝撃を受けました。アカデミー賞をとるのも無理はない。

 この作品の登場人物は、当時(1999年ですが、現在にも大いに言えるでしょう。)のアメリカの典型的な人間たちです。リストラにかけられそうな夫に、仕事をバリバリこなすことでキャリアを必死で築き上げ、貧しかった子供の頃を買い占めるように高級家具を買う妻。あまりの物的裕福さに心の幸福が見えなくなっている「普通の」娘。兵士であることを誇りに思うとともに、そのために精神的な「ひずみ」を持つ男、マリファナを売りさばくその息子(彼が手に持って趣味にしているのはビデオ・カメラ)。夫のDVで自閉症になってしまった兵士の妻。「普通」を極端に恐れるアイデンティティを失いそうな少女。そのほか、ゲイのカップルや、日常に不倫や銃が浸透しているアメリカ社会を見事なまでにひとつの物語に仕立て上げています。

 本作は、アメリカ中流家庭の破綻した夫婦、交流のない親子を描いています。しかし、この映画で描かれる家庭は、特別なのでしょうか。決してそうではありません。むしろ、典型的なアメリカアッパーミドルの家庭といえましょう。そしてその家庭の崩壊・・・。それに対して、タイトルの「アメリカの美」。つまり、『アメリカン・ビューティー』は、経済的に隆盛を極めるアメリカ社会に対する痛烈な皮肉になのです。

 そして、もうひとつ本作で注目すべきは、劇中白人しか出てこないということです。通常、多民族社会であるアメリカのハリウッド映画では、黒人、ユダヤ系、イタリア系、プエルトリコ系など様々な人種が登場するはずです。しかし、特にアメリカ社会を描く本作品に限って、一貫して、白人しか登場しないのです。

 これは、多民族国家アメリカといわれるものの、20世紀における隆盛は、白人主導のものであり、それがもたらした快感原則、幸福原則が、突き詰めていくと、実際、なんら精神的安定を生み出さなかったことを意味しているのでしょう。



 う~む、ぞくぞくするぐらいのシニカルさ。


 本当の幸せとは何か、本当の家族のあるべき姿とは何か、再考させてくれる逸品です。
 

 またケビン・スペイシーのおぞましさを感じるほどの演技も一見の価値ありです。

 そして、悲しいことは、1999年に描かれたアメリカの現実が、2010年の日本においてぴったりと当てはまってしまうことです。それもそのはずですよね。日本に持ち込まれたのも白人主導の資本主義という価値観。





それでは、2011年が本当の『ジャパニーズ・ビューティー』いや、『ワールド・ビューティー』が実現する年である事を願って・・・。


2010年12月18日土曜日

アマデウス




1984・アメリカ
監督:ミロス・フォアマン
製作総指揮:マイケル・ハウスマン、ベルティル・オルソン
製作:ソウル・ゼインツ
脚本:ピーター・シェーファー
音楽:ジョン・ストラウス
出演:F・マーリー・エイブラハム、トム・ハルス

 本作アマデウスは、ブロードウェイで好評を博した舞台『アマデウス』の映画化で、稀代の天才ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルの生涯を、彼の才能を妬み殺害した、と語る年老いたサリエリの回想によって綴られる物語です。また本作は、アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞などの8部門を受賞しました。監督ミロス・フォアマンの最高傑作と位置づける声もあり、彼の生涯かけたテーマである「自由と迫害」を、常識と常識を踏み外す超人の相克として描いています。

 あらすじですが、以下になります。

 1823年11月のある晩、ウィーンの街でひとりの老人が発狂して自殺を図り、病院へ運ばれた。この老人は、かつてウィーンで最も尊敬された宮廷音楽家、アントニオ・サリエリ。数週間後、サリエリの告白を聞くために若年の神父・フォーグラーが病室を訪れた。やがて、サリエリの回想が始まった…。イタリアに生まれたサリエリは、作曲家として優れた才能を持っていた。やがて音楽の都ウィーンへ赴き、皇帝ヨーゼフ2世付きの宮廷音楽家になった。そんな順調なサリエリの人生も、天才ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに出会ったことで狂わされていく…。


 物語はモーツァルトと同時代を生きた宮廷音楽家のサリエリの苦悩を描いています。彼は音楽家として凡人です。現に自分達はサリエリの作曲した曲など全く知りません。それに対し、神に選ばれたとしか表現できないような天才モーツァルト。

 しかし、彼はモーツァルトの才能を、天才としての資質を見極める才能は持っていました。天才の才能を理解出来ずに無視することが出来れば良かったはずです。でも、皮肉なことに、彼は、モーツァルトの音楽性を見抜くことにおいて天才でした。それが悲劇の始まりでした。
 圧倒的富、名声、地位がありながらも神の声を聞くことが出来ないと苛立つサリエリの苦悩は嫉妬という、人間の感情としてはあまりにもマイナスな面を引きだしてしまいます。さらにその感情は憎悪に変わって行きます。 

 もし、自分の友人や仲間が自分とは比べ物にならないくらいの才能を持って仕事をこなしていたら、自分はその人物の成功を心から祝福できるだろうか?神は全ての人間を平等に愛してると言われても、心からそれが真実だと思えるだろうか?思わずサリエリに感情移入してしまう自分が怖くなります。

 他人にあって、自分にはないものを羨んだり、妬むことはやめて、自分にあるものを伸ばしてゆけばいいのかもしれませんね。

な~んてことを考えさせられました。

 また、冒頭の「交響曲第25番」から始まる、作品全般にわたって流れる音楽の質の良さは改めてモーツァルトの凄さ、偉大さを感じさせられます。でも、この作品を観ると本当にバカと天才は紙一重なんだなということを痛感します。






 こぼれ話ですが、撮影監督のオンドリチェクは当初この撮影のため、『バリー・リンドン』での蝋燭照明のみによる撮影に用いられたレンズを、キューブリックから借りようとしたが、断られたそうです。
 しかし、『バリー・リンドン』を監督したキューブリックは、同年公開の『カッコーの巣の上で』で本作品の監督であるフォアマンにアカデミー監督賞を奪われています。 



我が敬愛するキューブリック監督へ・・・。カメラ貸してやれよ・・・。 

2010年12月16日木曜日

クリスマス特集 第2回 『ホーム・アローン』


監督:クリス・コロンバス
脚本:ジョン・ヒューズ
出演:マコーレー・カルキン/ジョー・ペシ/ダニエル・スターン/ジョン・ハード/キャサリン・オハラ/アンジェラ・ゴーサルス/キーラン・カルキン/ロバーツ・ブロッサム/デビン・ラトレイ/ジョン・キャンディ/クリスティン・ミンター/他

 第2回クリスマス特集!『ホーム・アローン』!やっぱり、僕が個人的に、もっとも思い入れがあるクリスマスの映画といえば、ホーム・アローンシリーズですね。

 クリスマスシーズン、金曜ロードショーでウキウキしながらテレビにくぎ付けになったのを覚えています。もはや説明不要の傑作コメディですが、一応、あらすじは


 クリスマスの家族旅行で、シカゴに在住するマカリスター家パリに行くことになっていた。しかしその当日の朝、停電の発生によりセットしていた目覚まし時計がリセットされてしまい全員が寝坊し、急いで空港へと向かったため、前日の兄とのトラブルにより屋根裏部屋で寝ていた8歳の少年ケビン・マカリスター(マコーレー・カルキン)が一人家に取り残されてしまった・・・。ケビンはうるさい家族がいなくなった事を喜び、一人暮らしを満喫するが、その家を二人組の泥棒、ハリー・ライムとマーヴ・マーチャントが狙っていた。ケビンは家を泥棒から守るべく、日用品などで家中に仕掛けを作り、泥棒たちを迎え撃つ。笑いあり、涙ありの心温まる物語。


 幸か不幸か、これがピークのマコーレー・カルキンはもちろん可愛いんですが、この映画をおもしろくしてるのはとことんドジでマヌケな泥棒2人組だと僕は思います。


 それもそのはず。なんと泥棒コンビのチビの方は、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『レイジングブル』、『グッドフェローズ』、『カジノ』などスコセッシ映画を中心に活躍した、名優中の名優、ジョー・ペシ。スコセッシ監督などの作品では、身の毛もよだつ暴力的なイタリアン・マフィアのイメージが強い彼ですが、本作では、おばかな泥棒を演じています。見事なコメディセンスを発揮していて、役柄の幅、広すぎます。この映画が面白いのは、そうしたわきの硬め型が半端じゃないことも理由としてあるでしょう。

そんなわけで、大人も十分楽しめる作品、『ホーム・アローン』。
 


もう一度、クリスマスに家族と一緒に観てみるのはいかかでしょう。

2010年12月15日水曜日

バニラ・スカイ


監督:キャメロン・クロウ
製作総指揮:ジョナサン・サンガー/ダニー・ブラムソン/フェルナンド・ボヴァイラ/ビル・ブロック/パトリック・ワクスバーガー
製作:トム・クルーズ/ポーラ・ワグナー/キャメロン・クロウ
脚本:キャメロン・クロウ
撮影:ジョン・トール
音楽:ナンシー・ウィルソン

キャスト
トム・クルーズ
ペネロペ・クルス
カート・ラッセル
ジェイソン・リー
ノア・テイラー
キャメロン・ディアス

 第5回、『バニラ・スカイ』です。とりあえず、今回もクリスマス特集は、お休みで。本作『バニラ・スカイ』もクリスマスの時期にはぴったりの映画なんですけどね。この作品を観る前、僕の周りの人の本作への評判があまり良くなかったので、さほど期待をせずに観たのですが、初めて観たときの印象は、時間が経つにつれて、じわじわその良さが伝わって来て、また観たくなる、そんな感じでした。つまり、好き嫌いが大きく分かれる作品だと思います。ですが、僕は、みなさんにぜひ観ていただきたい。自信を持ってお勧めします。
 『あの頃、ぺにー・レインと』や『ザ・エージェント』のキャメロン・クロウ監督作品です。僕の大好きな監督のひとりです。


 さっそく、あらすじですが、以下になります。

 マンハッタンの豪邸に住み、高級車を乗り回し、おまけにハンサム。完璧な人生を謳歌する出版界の若き実力者デヴィッド・エイムス。ジュリーという美しい恋人もいて、何不自由ないはずが、どこか物足りなさを感じていた。そんなある日、デヴィッドは親友の恋人ソフィアに一目惚れしてしまう。しかし、デヴィッドの心変わりを敏感に察したジュリーは、嫉妬に駆られて自ら運転する車でデヴィッドとともに崖に突っ込んでしまう。奇跡的に一命を取りとめたデヴィッドだったが、その顔は怪我のために見るも無惨に変わり果ててしまう……。

 実は、この作品、東京国際映画祭でグランプリをとった、スペインのアレハンドロ・アメナバール監督作品「オープン・ユア・アイズ」のリメイクなのです。そして、ペネロペ・クルスは、同じ役で登場します。オリジナルに比べると、音楽の使い方がポップで、総会で心地よく、かつ、おしゃれです。監督がロック・ジャーナリストから出発したキャメロン・クロウ、音楽がクロウの奥さんでロックバンド歌手のナンシー・ウィルソンだというのが効いているに違いありません。

 この作品の魅力のひとつは、映像のセンスや音楽の選曲センスが非常に良く、それが、映画の中で良く融合していることにあると思います。前半は、あれ、普通のラブストリー?って思うのですが、後半に進むにつれて、SFミステリーの匂いを醸し出してきます。そして、ミステリーのできが非常に良く、おそらくラスト30分まで何が何か分からいと思います。僕も、ラスト30分までは、ひたすら頭の中が混乱して、今が、現在なのか、過去なのか、未来なのか、さっぱりわからないのですから。しかし、謎解きがされて非常にすっきりし、“そういうことなんだ、すごいなぁ”と思えるはずです。そんな映画です。

 実に、一級品のSFミステリー&ラブストーリー(エターナル・サンシャインとか、バタフライエフェクトとかと系統は似ているかも)です。途中から、何がおこっているのか、観ている側も混乱し、ともすれば途中で観続けるのが嫌になってきてしまいところを、絶妙の映像&音楽センスでうまくフォローしてくれます。それによって、どっぷりと非現実空間に浸れます。

 映画冒頭のトム・クルーズが無人のニューヨークの街中を疾走するシーン(日曜日に撮影したらしのですが、ニューヨークも街を全面交通規制をしいたらしいです。さすが、ハリウッド、すげえ…)は、個人的にかなりのお気に入りですね。

 Sigur rosファンとしては、ラストに彼らのUntitled4という曲が流れたときは、もう感動はピークでした。

 この映画は、作品の核心を突いてしまうとネタばれしてしまうので、映像表現中心の批評になってしまいました。ですが、しっかりとしたメッセージのある作品です。それは、ご自身の目で確かめてください。

しかし、ペネロペ・クルス、かわいいな~。

2010年12月11日土曜日

イントゥ・ザ・ワイルド


製作国・年度:アメリカ・2007
上映時間:148分
監督:ショーン・ペン
出演:エミール・ハーシュ、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ウィリアム・ハート、ジェナ・マローン、キャサリン・キーナー、ヴィンス・ヴォーン、クリステン・スチュワート、ハル・ホルブルック

 第4回『イントゥ・ザ・ワイルド』。ひとまず、クリスマス特集は、お休みで。いや~、というのも、日ごろの自分の生活を徒然なるままに、考えてたところ、半年以上前に観たこの作品がふと頭を過ったのです。時間がたってもふと頭をよぎるということは、少なからず僕に影響を与えている作品と言えます。「生きる」とは、どういうことを意味するのかを教えてくれる数少ない作品の一つでしょう。(そういう意味では、黒澤の『生きる』に匹敵?)
 特に、あなたが少しでも現代社会に息苦しさを覚えたり、心のどこかで自分の仕事や生活に、偽善やごまかし、「何かが本当じゃない」という思いを感じたり、壊れかけのラジオに本当の幸せを尋ねていたら、ぜひ、この映画を観ることをお勧めします。
 
 そもそも、これは1990~92年、アメリカ各地とアラスカで実際に放浪と野宿生活を送った若者の実話を映画化したロードムービーです。ソロー、トルストイ、ジャック・ロンドン、バイロンなどを愛読した彼は大学卒業後、抑圧的な両親や人間社会の偽善、悪を嫌い、「究極の自由」や「真理」を求めて家を出ます。主人公は名前すら捨てて体ひとつで、アメリカ大陸を放浪し、最終的に彼はアラスカへと向かうのですが、旅先での人々の出会いがいちいちすばらしく、そして景色が圧倒的に美しい。聞けば撮影は、『モーターサイクル・ダイアリーズ』を手がけたエリック・ゴーティエとのこと。若者のあり余るほどのエネルギーを、きらきらと輝く雄大な景色に投影させる手腕はお見事。青春ロードムービーにエリック・ゴーティエあり、といった感です。

 主人公は、旅に出る際に、クレジットカードを捨て、ソーシャルセキュリティーカード(アメリカで真っ当な市民生活を送る上で基本となるIDカード)を捨て、貯金をすべて慈善団体に寄付して行きます。ここで痛感することは、日ごろ私たちが生きるよりどころとしているものが社会のシステムに過ぎず、あまりに簡単に断ち切れてしまうことです。

そして、その対極として描かれるものは、自然でしょう。その雄大さは思わず息を飲みます。「金も名誉も平等もいらない。僕が求めているのは真理だ」そう言い残し、すべてを捨てて荒野へ旅立った青年も自然の前ではちっぽけの一匹の動物に過ぎず、弱肉強食、自然の摂理をみをもって体験させられます。彼が体験した生まれて初めて悲しかった出来事は、あれ程に無駄な物の洪水に嫌気がさして大自然へと身を投じたのに、彼自身が無駄を生み出したことでした。(観ていただければ、分かります。)彼にとって最大の皮肉と言えます。

過去にもあった、名作ロードムービーの多くは、主人公の右肩上がりの成長を描いていますが、本作は一見、右肩上がり、しかし、実は目に見えない右肩下がりの透明な部分が描かれていたことに、最後に気付かされます。

クリスが強靭な心で、1人生き抜いていく姿は、実は、社会に適応できなくなっていた弱い姿だった。それゆえ、ラストはあまりの悲しさに涙が止まりません。
最後に彼が口にした言葉とは・・・。 最後に何を思い彼は逝ったのか・・・。
彼が最後に気付いた人間にとって一番大切なものとは・・・。

人間ドラマでありながら、少しずつ解明されるミステリーのごとく、見る側を引き込んでいくその手法は、ショーン・ペンならではの、見事なテクニック。ショーン・ペンが破滅へ向かう孤独な若者を描くニューシネマの後継者と言われる所以がここにあります。

自然、本、音楽、知り合う人々、日記、主人公とその回りに張り巡らされた綿密な映像とヒントを絡め、“親子” というテーマに迫った、実に見事な作品だったと思います。

学生の僕が言うのもなんですが、絶対に若いうちに観ておくべき作品です。

2010年12月9日木曜日

クリスマス特集 第1回 『素晴らしき哉、人生!』


アメリカ 1946年
監督・脚本:フランク・キャプラ 『或る夜の出来事』
脚本:アルバート・ハケット 
脚本:フランセス・グッドリッチ 
キャスト:ジェームズ・スチュワート、ドナ・リード、ライオネル・バリモア、ヘンリー・トラヴァース、トーマス・ミッチェル、ボーラ・ボンディ、フランク・フェイレン、ウォード・ボンド、グロリア・グレアム

 今日は、一人で六本木ヒルズのTOHOシネマズに行って、午前十時の映画祭で『追憶』を観てきたんですけど、映画の内容はさておき、街の雰囲気は、すっかりクリスマスムードでしたね。恋人がいない僕にとっては、一層寒さが身にしみる季節がやってきたわけですが・・・。僕のようなさみしい奴も、ラブラブなきみも、映画を観て、人生、素晴らしさ哉!ってなっちゃいましょう。ってなわけで、今回は、クリスマス特集第1回『素晴らしき哉、人生!』で行きます。
 
 『素晴らしき哉、人生!』、この映画は、1946年製作、アカデミー賞では、作品賞をはじめ5部門にノミネートされましたが、同年の名作「我等の生涯の最良の年(作品賞授賞)」「ヘンリー五世」などの台頭によって、無冠に終わった作品です。

 しかし現在では、この作品の持つ素晴らしさ、親しみやすさが再認識され、アメリカ映画協会が選ぶ「元気が出るアメリカ映画ベスト100」では1位に、同協会の「アメリカ映画ベスト100」では11位にランクイン、そしてアメリカでは、毎年クリスマスのゴールデン・タイムに放映されているそうです。

 この映画は、人生哲学を奏でた、とても心温まる名作です。温もり、悲しみ、苦しみ、喜び、そんな心情が、包み隠さず、ダイレクトに心に響き渡る人間讃歌です。

 
 冒頭に語られる子供時代のシークエンス、これらすべてがクライマックスへの伏線となっていることは後から驚かされます。一つの物語として全く無駄が無く、すべてのシーンに意味がある。またフランク・キャプラの映画作りへの細部のこだわりが、ちりばめられています。

・悪徳富豪ポッターの部屋にある椅子の高さ(自分の権威を示すため相手の席を低くしてある)。
いつも掴むとはずれてしまう階段の把っ手(ボロ屋敷で壊れてますが愛着があります)。
ジョージの娘が持っていた花から落ちた花びら(現実の世界に戻ったことのヒントとなります)。
トム・ソーヤの本(登場する守護天使のお気に入りで最後に、、、)。などなど。

 話は蛇行しますが、現代ハリウッド映画は、3Dや特殊効果のすさまじい発展の裏腹に、物語の持つ力というものが衰退して来ている、なんて言われたりしています。その物語としての力は、本作において、とても力強くみなぎっています。映画評論家、蓮見重彦氏は次のように言っています。「しばしば肝心な点が見落とされがちである。それは、映画が、一世紀という時間をかけて、ゆっくりと完成に近づいたのではないという事実に他ならない。1895年に誕生した瞬間から、映画はすでに充分すぎるほど映画だったからである。」 その言葉は、まさに本作に当てはまるでしょう。

 そしてこの映画の主幹となる、度重なる逆境と、そこにある、小さな幸せ。しかしその幸せは、ささやかであっても大きな愛に溢れていることに気付かされます。苦しい時でも身を削っての人助けをし、しかしそれは、いつか必ず自分に戻ってくる。

改めて、いかに多くの人が自分の生を支えられてくれているのか考えさせられました。

生きていることへ感謝を、たくさん感じさせてくれる逸品です。 




やっぱ、映画はハッピーエンドでなきゃね。

2010年12月7日火曜日

東京物語


 【監督】小津安二郎
 【出演】笠 智衆、東山千栄子、原 節子、 杉村春子、山村 聡 他


 第二回、『東京物語』です。なぜか最近、僕の周りで『東京物語』を耳にすることが多いので、このたび投稿しようかと思います。言わずと知れた小津安二郎監督の日本を代表する傑作です。しかし、悲しいことに、映画離れが叫ばれる中、本作を見たことが無い方は案外多いのではないでしょうか。 『東京物語』は、小津の最高傑作と位置付ける意見も多く、世界的にも有名で、日本映画の最高峰と評されることもあります。独立した子供たちの元を訪れる祖父母と、それを快く思わない子供達を通して、家族の絆、老いと死、人の生き方、それらを見事に描いた作品です。

 周りに欲を出しても、みな変わっていく。
人生はあっという間で、儚くもあり、辛くもある。
しかし、考えてみるとどこかに幸せがある、小さくても必ずある。
その幸せを尊重し、大切にしたい、そんな心が小津作品の最も深い所に根付くものだと思います。その精神は、本作の底流にもしっかり流れています。

 小津監督がもっともこだわり、描き続けたものは、“家族”というテーマでした。そこには、過剰な演出や娯楽性はなく、徹底して、“崩壊” “儚さ” “あはれ”が描かれます。しかし、その裏には、小津監督のそうあるべきではないという時代を超越した願いがあったのだと思います。家族のあり方を描き、さらにそれぞれの裏腹な心情や、それによる家族の儚さを描いたのも、家族というものを心から愛していたからでしょう。 

 本作は、そんな小津精神の集大成ともいえる作品です。


 小津監督にとって東京は、その儚さの象徴であったのでしょう。現代の核家族化や一人暮らし高齢者問題・・・その儚さは、今まさに社会問題にまで発展しています。本作は、現代を生きる日本人への静かな警鐘なのでしょうね。

 改めて、小津安二郎監督に謹んで敬意を払いたいと思います。





 上京して、一年半、たまには、田舎の両親に僕から電話してみようかな・・・。

2010年12月6日月曜日

ガタカ

 
1998年・米 上映時間 112分
監督:アンドリュー・M・ニコル
製作:ダニー・デビート、マイケル・シャンバーグ、ステイシー・シェール
音楽:マイケル・ナイマン 撮影:スラヴォミル・イジャック
衣裳デザイン:コリーン・アトウッド
出演:イーサン・ホーク、ユマ・サーマン、アラン・アーキン、ジュード・ロウ
   ローレン・ディーン、ゴア・ヴィダル、アーネスト・ボーグナイン
   ブレアー・アンダーウッド、サンダー・バークリー、トニー・シャローブ
 
 
記念すべき第一回の作品は、『ガタカ』です。自分がこの作品をはじめて出会ったのは、なぜか高校の時の現代社会の教科書からでした。しかし、初めて鑑賞したのは、大学に入って映画浸りの生活が始まってからなのだが、正直言って、「こんな素晴らしいSF映画が存在したなんて・・・」という衝撃でした。

 まあ、僕のこの作品との出会いは置いといて、あらすじですが、以下になります。

 「そう遠くない未来」と最初にクレジットされる。生まれた瞬間に細胞診断がされ、遺伝子の分析で、寿命や能力が分かってしまう時代。子供はデザイン・チャイルドがむしろ「正常」とされ、操作されずに誕生した男子ヴィンセントの運命は30歳で心臓疾患で死亡というきびしいものだった。しかし、男の子は宇宙旅行の夢を持つ。もっとも選ばれた者が宇宙飛行士になれるのだ。男の子にはデザイン・チャイルドの弟があった。いつも弟に負ける毎日だったが、遠泳競争で勝った日をきっかけに、兄(イーサン・ホーク)は「不適正」者として自信を持って生活し始め、やがて事故で車椅子生活を余儀なくされた遺伝的に優秀な青年ジェローム(ジュード・ロウ)の協力を得て、身分を詐称し、宇宙飛行訓練施設「ガタカ」へ潜入する。
 彼は抜け毛やムダ毛を完全に処理し、尿や血液もジェロームのものを利用して、検査を通過する毎日で、とうとう土星の衛星タイタンへの飛行士として選出される。ところが、その矢先に所内で殺人事件が発生、徹底的な捜査により、彼のマツ毛が採取され、不信な潜入者ヴィンセントは殺人の容疑者として指名手配されてしまう。
 刻々と迫るロケットの発射日、徹底的な捜査は徐々に彼を追い詰めていく。不審な様子に気づいた女子職員アイリーン(ユマ・サーマン)との恋愛もからんで、映画は静かにサスペンスを盛り上げていく。   とまあこんな感じです。
 
 映画『ブレードランナー』(監督リドリー・スコット)は、酸性雨の降りしきるじめじめした暗い都市と、入り乱れた人種が息苦しく蠢く空間を、来たるべき近未来世界としてわれわれの前に提示し、 科学の発達と人間の幸福は比例するのかを描いたに対し、本作監督アンドリュー・ニコルもまた、近未来を語る映画作家であり、そこでは科学の進歩とそれに伴って浮き彫りになる世界の不条理性を徹底的に描き出しています。

 自然出産で生まれ、自分の遺伝子という壁を越え、宇宙への旅を目指す「不適正者」のヴィンセント、超人的な体力、知力を生まれつき備え持つが車椅子生活を余儀なくされた「適正者」のジェローム。挫折しか経験のない人間と挫折を知らない人間二人の行きつく先は・・・

 持って生まれたその人の特徴や、「運命」は変えられるものではないのかもしれません。もちろん、いくら努力しても自分だけではどうにもならない事、どうしようもない事はたくさんあります。ですがそれも含め、欠点を探すよりも何が自分に出来るのか、何をしたいのか、どう生きて行きたいのかを考えるのに熱心になる事により、与えられた世界の中で「よりよく生きる」という選択は充分に出来るものではないかと思います。
 欠点であれなんであれ、与えられたものをフルに使って自分の夢を追うヴィンセントの姿は、夢の無かったジェロームだけでなく、僕にも夢を与えてくれました。
 
 また本作は、その映像美とマイケル・ナイマンの音楽も筆舌に尽くしがたい素晴らしさです。
 冬の寒い夜に鑑賞する。そんな映画です。